最高裁判所第三小法廷 平成4年(行ツ)70号 判決 1996年3月05日
上告人
岡林里美
右訴訟代理人弁護士
野呂汎
二村満
大竹秀達
佐伯仁
萬場友章
被上告人
地方公務員災害補償基金愛知県支部長
鈴木礼治
右訴訟代理人弁護士
早川忠孝
安西愈
橋本勇
佐治良三
藤井成俊
河野純子
濱口善紀
井上克樹
主文
原判決を破棄する。
本件を名古屋高等裁判所に差し戻す。
理由
上告代理人野呂汎、同二村満、同大竹秀達、同佐伯仁、同萬場友章の上告理由について
一 本件は、市立小学校の教諭である岡林正孝が児童のポートボールの練習試合の審判として球技指導中に倒れ入院後死亡したところ、被上告人が、正孝の妻である上告人からの請求に対し、地方公務員災害補償法四五条一項に基づき、右死亡は公務外の災害であるとする公務外認定処分をしたため、上告人がその取消しを求めるものである。正孝の死亡の経緯等に関し原審の確定した事実関係の概要は、次のとおりである。
1 正孝(昭和一九年六月生)は、昭和四二年四月に教員として採用され、昭和五三年四月から愛知県尾張旭市立瑞鳳小学校教諭として勤務していたところ、同年一一月に開催される市内の小学校の球技大会を目指したポートボールの練習を指導する教諭の中で中心的立場に立ち、その練習指導の大部分を行ってきていた。正孝は、同年一〇月二八日、同市立東栄小学校体育館において行われたポートボールの練習試合の審判として球技指導中、ハーフタイムに気分が悪いと言って倒れ、意識不明となって入院した。入院先で、正孝は、特発性脳内出血と診断され、血腫除去の緊急手術を受けて、一時意識状態が好転したが、同年一一月三日呼吸不全に陥り、同月九日死亡した。
2 特発性脳内出血とは、明らかな原因のない脳内出血の総称であるが、最近では、脳内微小血管に普通の血管撮影では発見されないような先天的な血管腫様奇形等が存在し、そのため破裂しやすい状態になっているその血管部分が破裂して発生する脳内出血であると考えられるようになっており、血管の破裂した箇所から微量の血液が徐々に侵出するものであるため、出血が始まりその血腫量がある程度増大した段階で頭痛、吐き気等の初発症状が出現し、血腫量の増大に伴い各種の症状が現われ、やがて意識障害発生という事態に至るものである。正孝についても、直接に発見されてはいないが、脳内微小血管に血管腫様奇形等が存在し、その血管部分が破裂して発症したものと推認することができる。
3 正孝は、意識不明となった当日である二八日は、午前七時四〇分過ぎころ出勤し、直ちにポートボールの練習指導を行い、続いて朝の会に参加した後、時間割表どおりに授業を行い、午前一一時三五分から五〇分まで清掃指導をした。その後、正孝は、東栄小学校で練習試合があり、他校の試合で審判もすることになっていたため、午後一時ころ自家用車に児童を同乗させて市内の東栄小学校へ出発した。正孝は、当日出勤後間もないころから頭痛等の身体的不調を訴え、普通の健康状態にあるとは考えにくい行動をとり、また、体調が悪いことから、昼ころとポートボールの試合の審判の開始前の二回にわたり、同僚の教諭らに審判の交代を頼んだが、聞き入れられず、やむなく、午後二時ころに始まった他校の試合に審判として臨んだものであった。
二 右認定事実を前提として、原審は、右正孝の死亡につき、次のとおり認定判断している。
1 正孝の脳内出血は、その意識障害発生の直前まで行っていたポートボールの試合の審判中ではなく、それ以前の遅くとも当日の午前中に起こったと推認するのが相当である。
2 当日午前中までの正孝の公務遂行の状況及びこれによりもたらされたと考えられる精神的肉体的負荷の程度をもってしては、右負荷が相対的に有力な原因となって同人の有していた脳内微小血管の先天的奇形が自然的経過を超えて破裂したと認めるのは、いまだ困難である。
3 当日午前中に始まった出血がいったん止まって、それがポートボールの試合の審判によって再開したものと認めることはできないから、正孝の死亡につき公務上外の認定をするに当たって判断の対象となる公務は、当日の午前中までのものであって、その後におけるポートボールの試合の審判を行ったことによる負荷は同人の死亡と無関係というべきである。したがって、正孝の死亡につき公務起因性を認めることはできない。
三 原審の右二の1及び2の認定判断は、原判決挙示の証拠関係に照らして是認するに足り、その過程に所論の違法があるとはいえないが、同3の判断は直ちに是認することができない。その理由は、次のとおりである。
前記事実関係によれば、特発性脳内出血は、破裂した微細な血管部分から微量の血液が徐々に侵出するもので、出血開始から血腫が拡大し意識障害に至るまでの時間がかなり掛かるというのである。そして、記録に現れた関係医師の証言等によれば、血圧の変動が出血の態様、程度に影響を及ぼすことがあることがうかがわれ、また、肉体的又は精神的負荷が血圧変動や血管収縮に関係し得ることは経験則上明らかであるから、出血の態様、程度が、血管破裂後に当人が安静にしているか、肉体的又は精神的負荷が掛かった状態にあるのかによって影響を受け得るものであることを否定することはできない。そうすると、出血開始時期がポートボールの試合の審判をする以前であったとしても、右審判による負担やこれによる血圧の一過性の上昇等が出血の態様、程度に影響を及ぼす可能性も本件証拠関係上は十分に考えられるところである。また、午前中の段階で、正孝は身体的不調を訴えていたのであるから、出血開始から血腫が拡大し意識障害に至るまでの時間がかなり掛かるという特発性脳内出血の性質からして、直ちに診察、手術を受ければ死亡するに至らなかった可能性ももとより否定し難い。結局、出血開始後の公務の遂行がその後の症状の自然的経過を超える増悪の原因となったことにより、又はその間の治療の機会が奪われたことにより死亡の原因となった重篤な血腫が形成されたという可能性を、前記二の3のような説示のみをもって、否定し去ることは許されず、したがって、原審が、これらの可能性の有無について審理判断を尽くさないまま、死亡と公務との間の因果関係の判断に当たっておよそ出血開始後の公務は無関係であるとしたのは、早計に失するものといわなければならない。
そして、前記事実関係によれば、正孝は、当日朝、体調の異変に気付きながら、ポートボールの練習指導や授業等を行っており、しかも、前記のように審判の交代を二度にわたって申し出ながら、それが聞き入れられず、やむなくポートボールの試合の審判を担当したというのである。右事実関係からすれば、正孝は、ポートボールの練習指導の中心的存在であり、他に適当な交代要員がいないため交代が困難であったことから、やむを得ずポートボールの試合の審判に当たったことがうかがわれる。そうすると、仮に前記の可能性が肯定されるならば、正孝の特発性脳内出血が後の死亡の原因となる重篤な症状に至ったのは、午前中に脳内出血が開始し、体調不調を自覚したにもかかわらず、直ちに安静を保ち診察治療を受けることが困難であって、引き続き公務に従事せざるを得なかったという、公務に内在する危険が現実化したことによるものとみることができる。
以上によれば、出血開始後の公務の遂行が特発性脳内出血の態様、程度に影響を与えた可能性、死亡に至るほどの血腫の形成を避けられた可能性等の点について審理判断を尽くすことなく、前記のような説示をしただけで出血開始後の公務は無関係であるとして公務起因性を否定した原審の判断には審理不尽又は理由不備の違法があり、右違法は原判決の結論に影響を及ぼすことが明らかである。論旨はこの趣旨をいうものとして理由があり、原判決は破棄を免れない。そこで、原判決を破棄し、右の点について更に審理を尽くさせるため、本件を原審に差し戻すこととする。
よって、行政事件訴訟法七条、民訴法四〇七条一項に従い、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官千種秀夫 裁判官園部逸夫 裁判官可部恒雄 裁判官大野正男 裁判官尾崎行信)
上告代理人野呂汎、同二村満、同大竹秀達、同佐伯仁、同萬場友章の上告理由
目次
上告理由第一点 原判決は訴外岡林正孝の公務の過重と死亡との相当因果関係に関し、以下のとおり経験則違反、法令解釈・適用の誤りがあり、ひいては判決の結果に影響が明らかな審理不尽ないし理由不備がある
第一 問題の所在
一 原判決の判示
二 原判決の概括的批判
第二 岡林の業務について
一 岡林の日常の業務について
1 原判決について
2 学級学年担当と校務分掌における公務の過重性について
3 新設校であることによる過重性について
4 勤務時間における過重性について
5 小括
二 岡林の昭和五三年一〇月以降の業務の過重性について
1 原判決について
2 原判決の概括的批判
3 ポートボールの練習指導について
4 修学旅行について
5 愛日教育研究会の発表等について
6 小括
三 岡林の発症当日の業務過重性について
1 原判決について
2 発症当日の業務は過重である
四 岡林の健康状況(疲労状態)について
1 原判決について
2 岡林は疲労困憊の状態にあった
第三 結論
一 原判決の判示
二 原判決の判断の誤り
上告理由第二点 原判決は本件特発性脳内出血の発症に関し、以下のとおり経験則違反、法令解釈・適用の誤りがあり、ひいては判決の結果に影響が明らかな審理不尽ないしは理由不備の違法がある
第一 問題の所在
第二 本件疾病の出血始期について
一 原判決の判示
二 原判決判示の問題点
三 結論
第三 本件疾病の発症について
一 発症の時期についての医学的知見
二 本件疾病の発症時期
三 結論
上告理由第三点 原判決には本件疾病の増悪に関する判断について法令解釈・適用の誤りがあり、ひいては判決の結果に影響が明らかな審理不尽ないしは理由不備の違法が明らかである
第一 問題の所在
第二 本件疾病の増悪
一 原判決判示の問題点その一
二 原判決判示の問題点その二
三 原判決判示の問題点その三
第三 当日午後の岡林の公務と健康状態
一 ポードボール試合審判前の勤務状況
二 右勤務状況下の岡林の健康状態
三 審判時の状況と岡林の健康状態
四 小括
第四 審判の生理的負担程度
一 宮尾医師らによる実験結果
二 一審判決の認定
三 小括
第五 本件疾病の増悪とポートボール審判公務の起因性
一 発症後の増悪
二 結論
上告理由第四点 原判決は本件疾病による死亡の公務上外の認定に関し地方公務員災害補償法第三一条の解釈を誤り、ひいては判決に影響を及ぼすことが明らかな法令の違背がある
第一 問題の所在
一 原判決の判示
二 問題の所在
第二 共働原因論の発展・定着
一 「災害主義」とそれを批判する判例の出現
二 共働原因論に立つ判例の発展と定着
三 共働原因の法理――小括
第三 相対的有力原因説の系譜と問題点
一 相対的有力原因説判例の系譜
二 相対的有力原因説の問題点
第四 結論
上告理由第五点 原判決には原審の訴訟手続において以下のとおり法令解釈・適用の誤りがあり、ひいては原判決の結果に影響が明らかな審理不尽ないしは理由不備の違法がある
上告理由第一点 原判決は訴外岡林正孝の公務の過重と死亡との相当因果関係に関し、以下のとおり経験則違反、法令解釈・適用の誤りがあり、ひいては判決の結果に影響が明らかな審理不尽ないし理由不備がある。
第一 問題の所在
一 原判決の判示
1 原判決は、訴外岡林正孝(以下岡林という)の死亡が公務に起因するか否かを検討する前提として、岡林の勤務状況および健康状況について検討を加えたうえで、岡林が公務の遂行により疲労を蓄積させるといった経緯について、昭和五三年九月までの公務の遂行状況および同年一〇月以降の公務の遂行状況に分けて検討を加えている。
2(1) 原判決は、昭和五三年九月までの繁忙度について、「職務の内容が相当に密度の濃いものであったとは認められるものの、それは、訴外岡林のような経験を有する小学校教員の職務に通有的なものとして言える範囲であり、また、担任クラスの生徒の生徒数が前記のとおり比較的少なかったことに照らせば、決して過重なものではな」(判決書三一丁表―但し以降判決書を引用するときは丁数のみを表示する)い旨判示し、この時期までの公務の過重性を否定した。
(2) そして、原判決は、同年一〇月以降の公務の遂行状況について「同人の繁忙度はそれ以前に比べかなり増大したものと判断される」とし、「訴外岡林の遂行してきた公務の量はかなり密度の濃いものであった」とするものの、「標準的な教職員との比較からしても、同人としても、少なくとも昭和五三年一〇月初めころまでは過重なものではなかった」(以上三一丁裏)と判示し公務の過重性を否定している。
(3) 更に、原判決は、昭和五三年一〇月二四日および同月二五日の両日にわたる修学旅行の引率について「平時の勤務よりもはるかに高い肉体的精神的負荷を受け、疲労の度合いも、その時点においてかなり高かったことは明らかである」としながらも「修学旅行は教育の一環として全国の小、中学校で定例的に行われており、同行する教職員や添乗員等のスタッフが揃い、スケジュールが児童生徒にも無理のないものであれば、同行教職員にとって負担が極端に重いというものではな」(以上三二丁裏)いこと、および「同人も帰宅当夜は平常の睡眠量よりはるかに多い約一一時間の睡眠を取ることができたので、かなり疲労度を解消できた」(三二丁裏)ことをもって過重な業務であることを否定している。
3 このように、原判決は、原判決が発症したと認定している同月二八日午前までの岡林の業務について「同人の一〇月初めから、発症した一〇月二八日午前までの間に遂行してきた公務量は、小学校教職員の標準的公務量や従前同人が全く支障なく遂行してきた同人自身の健康度にふさわしいと考えられる公務量に比べても、同人に過重な精神的肉体的負荷がかかる程に特段に多かったと認めることはできず、同日午前までには修学旅行による疲労もほぼ解消したと認められる」(三三丁裏)と判示し、「結局訴外岡林の公務遂行の状況及びこれによりもたらされたと考えられる精神的肉体的負荷の程度はこれまでるる認定してきたとおりであって、これをもってしては、司法的判断としても同人の有していた脳内微小血管の先天的奇形が破裂したのは、自然的経過をこえて右負荷が相対的に有力な原因となったと見て、同人の死亡につき公務起因性を肯定することは未だ困難であると言わざるをえない」(三四丁裏)と判示して岡林の業務過重性を全く否定しているのである。
二 原判決の概括的批判
1 原判決は、岡林の公務遂行について判断する前提として、前述したとおり個々の業務自体および個々の業務のなされる各時期毎の業務につき事実認定したうえ公務の過重性について評価しているが、その評価は「公務の内容が相当に密度の濃いものであった」とか「公務の量は、かなり密度の濃いものであった」とするものの、その公務は通常の教職員あるいは岡林の通常の公務との比較からして過重性を否定する。しかしながら、本件発症に至る昭和五三年四月以降ことに同年一〇月以降の岡林の公務は、岡林の従来の公務に比べても、また通常の他の公務員に比べてもはるかに過重な公務を遂行しており、岡林の公務を総合的かつ有機的に検討するならば、全体としての公務の遂行が岡林の発症および死亡の原因であることが明らかである。にもかかわらず、原判決は、岡林の公務について総合的・有機的に検討しようともせず、あえて各公務を切り離し、各公務の公務量あるいは過重性を判示し、全体としての公務の遂行が岡林の発症および死亡の原因であることを否定しているものである。
2(1) 原判決のかかる恣意的な事実認定については後に詳細に批判するところであるが、原判決は、第一に昭和五三年九月までの日常業務およびその過重性について判断の誤りがあり、第二に発症の前一ケ月、とくに直前の一週間の業務およびその過重性について判断の誤りがあり、また第三に発症当日の業務について発症の時期を恣意的に判断することにより発症当日の過重な業務を殊更排除し相当因果関係に関する法令解釈およびその適用について決定的に重要な誤りを犯している。
(2) すなわち、原判決は、岡林の勤務条件について検討を加え事実認定を行っているものの、岡林の日常の勤務、特に発症直前の一週間の勤務条件について総合的かつ有機的判断を全く行なっていない。
岡林は、この期間において、通常の業務を行うのに加え、修学旅行を行ったほか、ポートボールの練習指導、愛日教育研究会の発表準備、子どもの本について語る会の準備のために通常の勤務時間を大幅に超える超過勤務をし、早朝より早出し、しかも深夜にわたるまで研究をしていたものであって、総合的かつ有機的な判断を行うなら、本件事件は右公務の過重性に起因する死亡であり、まさに過労死であることは明白なところである。
(3) 更に原判決が発症の時期を恣意的に判断していることについては、上告理由第二点において詳細に論述しているが、発症の時期は、客観的証拠によれば、ポートボール審判時であることは明らかであり、この発症はそれまでに岡林の行なってきた過重な公務の負担によってひき起こされたものであることは明白である。百歩譲って原判決が認定するように、本件発症が当日午前中であったと仮定しても、右発症は、それまでに岡林が行なってきた過重な公務による負担によってひき起こされたこと、さらに発症後のポートボール審判などの公務の継続が岡林の発症後の症状をさらに増悪させ、ひいては死に至らせたものである。
いずれにしても、岡林の本件発症、死亡は、発症当日までの公務の負担及び発症当日の公務の負担が原因となってひき起こされたもので公務起因性が肯定されることは明白であり、原判決は相当因果関係の存否に関して経験則違反、法令解釈の誤りを犯していることは明らかである。
第二 岡林の業務について
一 岡林の日常の業務について
1 原判決について
(1) 原判決は、瑞鳳小における岡林の地位および校務分掌および勤務時間を検討したうえで、すでに指摘したとおり「昭和五三年九月までの繁忙度については、職務の内容が相当に密度の濃いものであった」と認定しながら
① 岡林のような経験を有する小学校教員の職務に通有的なものとして言える範囲であること
② 担任クラスの生徒数が前記のとおり比較的少なかったこと
からして、業務が過重でなかったとし、その根拠として
③ 同人の勤務は基本的には所定勤務時間内の勤務に止まっている
としている。
(2) しかしながら、原判決には、前述のとおり、経験則違反、法令解釈・適用の誤りがあるので、以下昭和五三年九月までの日常業務の過重性、同年一〇月以降とくに発症前の一週間の公務の過重性および当日たる同月二八日の公務の過重性についてそれぞれ詳細に論述する。
2 学級学年担当と校務分掌における公務の過重性について
(1) 原判決は、岡林が瑞鳳小学校において六年一組の学級担任で学年主任であったこと、右クラスの授業のうち週三〇時間の授業を担当していたこと、校務分掌上は、社会科主任、視聴覚教育主任、特活指導の責任者、児童活動の責任者、児童会主任、クラブ担当、企画委員会委員、環境構成委員会委員を務めていることを認定したうえ、「これらの各種校務分掌は、同小学校における学校管理案に基づき各教職員によって分担されるもので、経験の浅い教諭にくらべ同人の負担が多いことがあったとしても、同人だけ諸負担が集中していたわけではなかった」(二〇丁裏)と判示している。
(2) しかしながら、岡林は精神的にも肉体的にも過重な公務を要請されていたが、特に重要なのは、岡林が六学年の学年主任と特活指導主任を担当していたことである。
すなわち六学年は、いうまでもなく小学校の最高学年・最終学年であり、この一年間で各教科、道徳、特別活動等小学校の教育過程を完全に習得させて、中学校に送り出さなければならないことはいうまでもない。それに加えて、同校は新設校であって、教職員もそうであるが、特に児童も別々の学校からの寄り合いであり、したがって五学年まではそれぞれの学校で異なった教育を受けてきたものである。これを早急にひとつの学年として束ねつつ、前記の六学年の教育課程を習得させ卒業させることは、他の学校にない、また他の学年にもない特殊な点である。
岡林は、この六学年の担任に任命されてその職務にあたるとともに、その学年主任に任命され、同学年担当の教諭を指導助言しつつ同学年全体について責任を負ったものであり、その職責と負担の重さは一般の学校にはなく、また同校の各学級・学年を担当する教職員の中でも最も重かったことはいうまでもない。
また、岡林は教務部の中の特活指導主任を担当していた。教務部は、児童の教育に直接に関わる分掌であり、学校運営職務の中でも最も重要な分掌であることはいうまでもない。また同部は、教科指導、道徳指導、特活指導の三分野からなっているが、量的にも質的にも教科と特活がとくに重要であることはいうまでもない。岡林はそのうち特活指導の最高責任者に任ぜられた。一方の教科指導の責任者が教務主任の加藤であることからみても、特活指導の岡林の責任の重さは明らかである。また、加藤が、学級や学年を担当していないのに対して、岡林が学級担任、学年主任を担当しながら、特活指導主任を務めていたことから、その責任と負担の重さは明らかである。
岡林が、このような六学年主任と特活指導主任という重要な主任を、しかも併せて担当せざるを得なかったのは同校の教職員構成の特殊性による。すなわち、同校は校長、教頭、養護教諭を除くと一六名の教員により構成されているが、そのうち新卒が四名(二五%)、二〇代が右四名を含めて一〇名(62.5%)ときわめて年齢構成が若い学校であった。その結果、岡林は三三歳でありながら、年齢的には五番目、とくに男性の中では三番目であった。そのため、普通であれば、若手から中堅にかけての経験、年齢でありながらも、同校では中心メンバーに位置づけられ、しかもスタッフが豊富であれば、分掌を分担することができたところであるが、岡林の場合は、六学年主任とともに、特活指導主任として加藤教務主任とともに事実上教務部を分担して担当せざるを得なかったものである。
このように、岡林は、同校の教職員の年齢・経験構成の特殊性の結果として、学級・学年・校務分掌いずれにおいても同校の教職員の中でもとくに重い負担に任じたし、それは同年齢・同経験の教員の中でも異例に属するものであり、それらが岡林の負担、特に精神的負担となっていたことは明らかである。
3 新設校であることによる過重性について
(1) 原判決は、「新設校ということもあって、伝統のある既設校と異なり教育上及び学校運営上、また、新たな校風作りの点でしばしば新規の対応を余儀なくされることがあり、このことから教職員の負担は既設校よりもある程度重くなっている現状であった」と判示し、新設校であることにより業務が「ある程度重くなって」いたとしている。
(2) しかし、新設校の実体を正確に認識するなら、新設校における業務はかなり過重であって、しかも、運動会、修学旅行と学校行事が重なる二学期以降においても、減少することなどあり得ないところである。
すなわち既設校では学校運営、年間行事等については前例や慣行、ルールがあり、学校は概ねこれらに沿って運営される。
また教職員も、年によって多少の異動はあるにしても、前年度から引き続いて勤務する者が大部分であり、互いにその学校の前例、慣行等に慣熟しているものである。
これに対して、新設校では、校地、校舎そのものが新しいうえに、学校運営、年間行事等学校に関わる全般について白紙の状態から作り出していかなければならない。
しかも、この学校作りに関わる教職員も全員がその学校は初めてであるし、多くの場合多数の学校から転勤した者同士のいわば混成部隊である(このことはその学校としての慣行のないところに、各教員が前任校ごとの学校運営の慣行等を背負って来ることを意味している)。
さらに、場合によっては子どももいくつかの学校から転校してくる場合もあり、この場合は子ども同士の融和のために配慮や指導が極めて重要となってくる。
以上の点は開設準備委員制度が導入されていれば、ある程度カバーできるが、それがない本件同校においては(しかも特に開設一年目においては)、四月の新学期に開校・着任してから、開校準備を始め、日々の子どもに対する教育活動と平行しての学校運営、行事、校務分掌等全てにおいて学校作りをすすめていかなければならない。
例えば、修学旅行およびその準備についても、前例も、前年度の例や経験もない中で進められるものである。このような観点からすれば、原判決が「修学旅行それ自体は定例的なものであり」と述べているのは、新設校の実情について認識を誤っているものである。
岡林は、自らこの学校作りの中心となるとともに、前述した日常業務を中心的にはたしてきたものであり、それは既設校の教員には見られない負担であり、「小学校教員の職務に通有的なもの」と云えないことは明らかである。
4 勤務時間における過重性について
(1) 原判決は「岡林の同五三年四月以降の実際の勤務時間は、概ね所定勤務時間内に留まっており、同人の発症に至るまでの昭和五三年一〇月中の同人の勤務時間(但し、修学旅行は除く)は後記ポートボールの練習指導のため同月一一日以降の出勤が午前七時四五分ころと早くなり、同月一四日、二一日の各土曜日の勤務時間が午後四時ころと遅くなったが、平日の勤務時間はほぼ定時の午後五時一五分ころであった」とし、岡林の業務が過重でなかったことの根拠に、所定の勤務時間内の勤務であることを強調する。
しかしながら、原判決は、同年九月までの勤務条件においてのみ勤務時間を検討しているが、同年一〇月以降ことに発症直前の勤務時間については、実質的な検討をしていない誤りがある。
(2) 更に教職員にとって特有的な問題でもあるが、勤務時間に現れない勤務実態について原判決は全く検討がなされていないのである。
すなわち放課後は子どもにとっては授業から開放される時間であるが、教師にとっては授業の後片付け、次の授業の準備プリントを印刷したり諸帳簿をつけたりテストの採点、日記を見て赤ペンを入れたりするなど種々な教育活動、および授業時間中には処理できない校務分掌の処理、授業の準備等種々の公務を行わなければならない。また、子どもとの触れ合いとして一緒に遊んだり、生活指導、個別指導等少ない時間を有効に使用しているのである。従って、教師にとって放課後も勤務が継続するのである。
更に重要なのは、退校後においても、教員の業務はその性質からいって家庭にてやらざるを得ない業務も多いのである。
まず、授業の教材研究、学級通信である。教材研究時間は一時間授業につき通常九〇分必要と言われているが、その準備をした上で毎日五、六時間の授業をするのである。岡林は、業者テストは使わず自作テストを使っており、テスト作り、印刷等自分で行っており、テストの採点は殆ど家庭で行っており、又子どものより良い育成のため岡林は詩集作りをしており、その労務も大変なものであった。
このように退校即ち勤務終了ではなく原判決が指摘する退校時間一七時一五分で勤務終了というのは、教育の業務の実態を知らない認定と云わざるを得ないのである。
5 小括
以上指摘したとおり、岡林は、昭和五三年四月以降、新設小学校に赴任し、六年生の学級、学年担当をし、加えて特活指導主任等の職責も遂行するなど瑞鳳小における中心的役割を果たしてきているのであって、岡林のそれまでの勤務あるいは他の教職員の職務と比べても「小学校教員の職務に通有的なもの」を越えた特段の過重な業務を遂行していた。
またその公務の過重性は「担当クラスの生徒数が比較的少ない」ことをもって軽減されていないことは明らかである。
二 岡林の昭和五三年一〇月以降の業務の過重性について
1 原判決について
(1) 原判決は、昭和五三年一〇月以降の勤務条件の認定において、岡林の前述の勤務条件に加えて、ポートボールの練習指導、修学旅行の準備および実施、運動会、児童会の役員選挙等の業務について検討を加えたうえ「一〇月に入ってからの同人の繁忙度はそれ以前に比べかなり増大した」こと、「岡林の遂行してきた公務の量は、かなり密度の濃いものであった」を認定しながら、「標準的な教職員との比較からしても、同人としても、少なくとも昭和五三年一〇月始めころまでは過重なものではなかった」(同三一丁裏)としている。
また、原判決は、同月一一日以降の業務について「ポートボールの練習指導のため、それ以前に比してある程度勤務時間が増えた」としているが、「前記のような授業の開始前、開始後の生徒に対する運動の指導はポートボール以外の運動についても行われており、訴外岡林にのみ特有のことではないことは認められ、過重とまでは云えない」(同三二丁表)と判示し、結局同年一〇月に入ってからの業務についても過重なものでなかったとしている。
(2) また、原判決は、修学旅行の準備および実施状況について、一方において「修学旅行それ自体は定例的なものであり、スケジュールも児童の体力に合わせて設定されており、かつ、同年六月にはコースの下見を終えていること、引率生徒数も手頃であったこともあって、標準的な体力をもっている引率者にとっては(訴外岡林にとっても)極端に重いという程の肉体的負担ではなかった」と認定し、他方において修学旅行の実施そのものについては「修学旅行では早朝から勤務に就き、その夜の睡眠時間は四時間位しか取れないまま二日目夕刻まで生徒を引率してきたのであるから、平時の勤務よりもはるかに高い肉体的精神的負荷を受け、疲労の度合いも、その時点においてかなり高かったことは明らかである」としながらも、「同行教職員にとって負担が極端に重いというものではな」いとし、更にその疲労についても「事後の回復措置により健康への影響を避けることができるとの認識が一般的であり、同人も帰宅当夜は平常の睡眠量よりはるかに多い約一一時間の睡眠を取ることができたので、かなり疲労度を解消できたものと考えられる」として、蓄積疲労の原因とならない旨判示している。
2 原判決についての概括的批判
(1) しかし、岡林は、すでに指摘した従来の過重な業務に加えて、同年一〇月一日には運動会がなされ、同月一一日以降には平日は午前七時四五分から午前八時二五分までの授業前四〇分間及び午後三時三〇分から午後四時四〇分までの授業後の一時間の練習を行ったうえ、土曜日は午後一時三〇分から午後四時までの練習または練習試合を行う等のポートボールの練習が加わり必然的に睡眠不足も加わり肉体的疲労が蓄積されていったのである。
(2) 更に、すでに指摘したとおり、同月二四日および二五日の両日にわたる修学旅行によって、岡林の睡眠時間は極端に少なくなっており、しかも引率者としての責任、被引率者が児童であることからして、岡林の精神的疲労および肉体的疲労は顕著であって、平常の睡眠時間を上回る睡眠をとったからといって疲労が解消することなどあり得ない。
原判決は、ことに勤務状況における修学旅行についての評価について、「極端に重いという程の肉体的負担ではなかった」(二五丁表)と認定し、ことさら精神的負担についての認定を排斥しており、経験則に反する事実認定を行なっているのである。
(3) 第一審判決は、疲労と睡眠の関係を詳細に論じているが、原判決は疲労が蓄積されてゆく経過について事実認定をしようとせず、かつそのメカニズムの解明を行っていない。
すなわち、第一審判決は、職務による疲労の蓄積について「勤務によって生じた疲労は十分な睡眠によって回復し得るものであるが、人間の生理的状態には昼は活動しやすく睡眠をしにくく、夜は睡眠しやすく活動をしにくいという生理的リズムがあり、睡眠量は睡眠のしやすさと睡眠時間に比例することとなる。勤務によって生じた疲労と睡眠量とのバランスを失すると疲労は蓄積することになり、疲労の蓄積は時間が長くなると累積的に増大することになり、また、生理的リズムは勤務による負荷が大きくなると崩れてくる」と判示しており、このような睡眠時間を減少させる原因となる早朝練習や後述する深夜にわたる研究会の準備が疲労の回復を阻害し、睡眠時間減少とともに疲労が飛躍的に増大することを明確に認めているのであって、このような長期間にわたる疲労の蓄積が岡林の発症の原因となっているのである。
(4) このような疲労の蓄積されていくメカニズムに従って検討を加えてゆくなら、昭和五三年一〇月以降の岡林の勤務状況は発症当日に発症させるに充分な疲労を蓄積させていったと云っても過言でない。
したがって、かかる視点を持つことなく経験則に反した事実認定している原判決は不当である。
3 ポートボールの練習指導について
(1) 原判決は、岡林がポートボールの練習指導を授業開始前に四〇分間、授業後に一時間、土曜日には午後一時三〇分から四時まで行ったことを認定している。
しかしながら右練習指導に対する評価は、「起床時間を若干早め」とか前述したとおり「岡林にのみ特有のことではない」とするにすぎず、右練習指導によって疲労が蓄積されるのか否かについては明確な判断を回避しているとしか云いようがない。
(2) 昭和五三年一〇月一一日から同年一〇月二七日まで、岡林がポートボール指導に費やしたのは一二日間であり、その練習時間総合計は二二時間一〇分であり岡林がポートボール練習に費やした労力、時間はいかに多大であったかわかる。
勿論、岡林の右練習は授業前および放課後に行われた。この点、小塚裕子は「認定資料の方は空欄になっていて、休憩とか休息ということで書いてあるのですけれども……岡林先生の場合はポートボール練習に割かれておりました」(昭和六三年三月四日小塚証人調書四丁)と証言している。
更に当時の瑞鳳小学校の特色として、同校が優勝候補であったことから、岡林の熱意もその性格とあいまって並々ならぬものがあった(右調書五丁)。
(3) 岡林は、右に述べたようにポートボール練習指導に多大の情熱と体力をかけており、そのため肉体的疲労が増大したことは当然であるが、加えて早朝練習のために貴重な睡眠時間を減少させざるを得ず、そのために前述した疲労の回復を遅らせ、かえって疲労蓄積の一大要因となったのである。
4 修学旅行について
(1) 瑞鳳小は、同月二四日及び二五日の一泊二日で尾張旭市内の他の二校と連合で奈良・京都方面のバス旅行による修学旅行を実施し、瑞鳳小の六年生(二学級、在籍数合計四八名)が参加し、岡林は六年の学年主任及び六年一組の学級担任として修学旅行の事前準備・指導、旅行引率・指導等の実務の中心となって企画、実行にあたった。
修学旅行は教育課程に位置づけられた学習活動の一環であり、総合的な体験学習の場として学校行事の中でも特に重要な意義を有するものとされており、これが効果的に実施されるためには学校の特質に応じた実施計画の主体的な作成、事前の綿密な研究と周到な準備及び児童の心身両面の安全についての対策と配慮を要求される。そのため、参加者全員が健康で安全に帰校できるように旅行全般について服装、持物、旅館での過ごし方、見学先の行動等について綿密に検討・準備し、これを保護者、旅行業者に周知するとともに参加児童に事前指導するなど、事前の準備・指導に最大限の配慮を必要とする。
岡林は、同月五日の学年PTAにおいて修学旅行について保護者に説明するための準備をし、その際修学旅行当日までの「旅行のしおり」を作り、見学先についての事前学習の指導、右学習に基づき一〇丁に及ぶ資料作成の指導等をし、更に班の構成、係の分担、旅行中のバス内、旅館等における生活指導、児童の健康状態の把握などの準備的作業に従事した。岡林は学年主任であるとともに六年二組の担任教諭は経験が浅く修学旅行の立案・準備等についても経験がなかったため、岡林の担任するクラスばかりでなく六年生全体について配慮しなければならず、主に岡林が修学旅行の立案・準備にあたっていた。また岡林は、修学旅行後に児童一人につき三〇枚の旅行記を書かせるとして事前の学習・資料収集にも力を入れていた。
さらに、前記の通り瑞鳳小は新設校のため修学旅行の経験、累積がなかったため岡林は、学年主任として新設校に相応しい旅行指導計画を立案して、これを児童のみならず引率する教員らに周知徹底させると同時に、実際の旅行の中でこれを円滑安全に遂行させる責任があり、旅行代理人との打合せや他校との連合修学旅行であるため、他校との打合せも必要であった。
(2) したがって岡林は、ポートボール練習指導が同月一一日に始まっていたことに重なって修学旅行の準備もしなければならず極めて多忙であり、修学旅行前日の一〇月二三日は修学旅行引率のため午後二時間の代償休養を取ることが予定されていたが、岡林は修学旅行直前の準備作業のため右代償休養を取れなかったのである。
(3) 修学旅行中の岡林の公務遂行状況をみると、修学旅行当日である一〇月二四日は午前五時前ころ起床し、朝食を取らずに登校して午前五時三〇分から勤務についた。
修学旅行の引率者は岡林の他に野田真治校長、深谷千嘉子教諭(六年二組担任)及び小塚裕子養護教諭であり、引率責任者は野田校長であったが、実務的には岡林が中心になっていた。ほかに、旅行代理店の添乗員及びバスガイドも同行した。旅行の日程は、同日午前六時に瑞鳳小を出発し、バスで奈良に向かい、午前一〇時に法隆寺に到着し見学してから昼食をとり、その後春日大社、東大寺を回って京都へ向かい、平安神宮を見学して午後四時四五分に宿舎に到着した。
同月二五日は午前五時三〇分に起床し、午前六時三〇分から朝食をとり午前七時三〇分に宿舎を出発し、清水寺、二条城を見学した後嵐山に向かい、同所で昼食をとった後、比叡山を見学し、その後帰路につき午後五時四五分瑞鳳小に帰着し、午後六時に解散したが、右両日は睡眠時間が従前と比べて極端に減少し、かつ朝から深夜あるいは夕方に至るまで児童と行動を共にしながら指導してきたものであって、日常の業務を比べて肉体的疲労は顕著であった。
(4) 岡林はバス中では車内の雰囲気を盛り上げ、車酔いする子どもがいないか気を配り、見学先においては他の観光客や修学旅行生で混雑する中、児童が迷子になったり事故を起こしたりすることのないよう、全児童の動静を配慮しながら引率し、宿舎に到着後は避難経路指導、荷物の整理指導(宿舎に予定より早く到着したため、入浴の順番が変更となり、そのための打合せや連絡が必要となった)夕食指導、就寝指導等に追われ、これらの指導が終わった後、引率職員の打合せ(当日の反省と翌日の日程確認)をし、就寝後も三回の巡視をしたため、翌朝午前五時三〇分の起床時刻までの睡眠時間は断続的に四時間程度しか取れず、殊に岡林は右の指導の時間以外にも積極的に子どもの中に入り込んで行動を共にすることが多く、寝る際にも子どもと同じ部屋で寝ていたこともあり、極めて浅い睡眠しかとれなかった。また、てんかんの症状を持つ子どももいたため、その様子を注意深く観察する必要もあった。さらに、登校拒否でクラスに溶け込めない子どももおり、その子どもが孤立することのないよう配慮する必要もあった。そのため修学旅行中の岡林は肉体的に疲労が大きかったばかりでなく、精神的にも二日間にわたり心理的緊張が継続し、精神的疲労も日常の業務と比べて激しかった。
(5) 岡林は、このように従前からの蓄積疲労に加えて、右に指摘してきた修学旅行による肉体的疲労および精神的疲労を更に加えていったものであるが、右修学旅行における睡眠時間の極度な減少が、岡林の蓄積疲労を一層増大させたことは明らかである。
原判決は、引率者にとって「極端に重い程の肉体的負担ではない」と認定するが、蓄積疲労のなかで更に加わった修学旅行の引率はその日程および公務内容からして一層の肉体的負担となったことは明らかであり、かつ精神的にも重大な負担となっていたにもかかわらず、その精神的負担について検討されておらず、公務の過重性の認定を誤ったことは明らかである。
そのため、修学旅行終了後一夜睡眠をとった岡林は、いまだ疲労を回復しておらず、上告人は、岡林の状況を「一〇月二六日(木)の朝、普段疲れを口にしない正孝が疲れを訴えました。そして、「名古屋では修学旅行の次の日は休みだそうだが尾張旭もそうすべきだ」と話していました」と証言し、更に右旅行の翌日にも上告人は「一〇月二七日朝なかなか起きてこず、年かな疲れがとれない休もうかなと言っていました」等と供述しているとおり、岡林が修学旅行のため、極度に疲労困憊していたのである。
更に上告人は、岡林が修学旅行から帰宅した際、いつもとは異なった行動をとり、まるで幽霊のように現れ、ふらふらとしていたのを現認したと述べており、右事実からすれば、岡林が修学旅行の疲労度から、精神的にも肉体的にも人間の限界を超えるものがあったと云ってよく、今回の特発性脳内出血の重要な要素となっていることは間違いのないところである。
したがって、原判決が修学旅行後の一晩の睡眠によって「かなり疲労度を解消できた」との認定は、経験則に反し、相当因果関係の適用を誤らせるものであると云わざるを得ない。
5 愛日教育研究会の発表等について
(1) 原判決は、岡林が愛日地区の公立小中学校教諭全員参加を予定する愛日教育研究会について、同年一〇月六日午後三時三〇分から開かれた研究会に出席したこと、同月二七日に開かれた特別教育活動研究会において瑞鳳小の学級活動の実体について発表することになっていたこと、その発表のためのレポートの作成等の準備のため同月二六日における修学旅行の回復措置の時間内に登校のうえレポートの作成に従事し、授業時間後も発表の準備をしていたことは認めている。
(2) ところが、原判決は、岡林が修学旅行の引率によって蓄積されかつ解消されていない疲労に対して、右研究会の準備ならびに発表がどのように影響を与えた否かについて全く論及していないのである。
むしろ、原判決は、後に詳細に反論するが、子どもの本について語る会の準備について「二日間にわたり遅くまで起きて右会の準備にあたったことは新たな疲労を来したものと考えられるが、前記のようにこれを公務起因性有無の判断対象とすることはできない。こうして見ると、同人の一〇月始めから発症した一〇月二八日午前までの間に遂行してきた公務量は、小学校教員の標準的公務量や従前同人が全く支障なく遂行してきた同人自身の健康度にふさわしいと考えられる公務量に比べても、同人に過重な精神的肉体的負荷がかかる程に特段に多かったと認めることはできず、同日午前までには修学旅行による疲労もほぼ解消されたと認められる」(三三丁表)と認定している。しかし、原判決の右認定は、一方において愛日教育研究会の準備による疲労を排斥し、他方において、子どもの本について語る会の準備が公務でないとの理由でその準備による疲労を排斥したうえで因果関係を否定しているものであって二重の意味で極めて不当である。
すなわち原判決は、一方において右研究会の準備によって、蓄積されている疲労の回復が阻害されるだけでなく新たな疲労原因としてより疲労の蓄積を増大させるものでありながらこれを排斥し、他方において、公務と密接な関係のある子どもの本について語る会の準備を認定外とし、しかも疲労の蓄積過程のなかから合理的に除外しようもないにもかかわらず、恣意的にこれを排斥しようとするものである。
このような認定は、そもそも非科学的、不当な認定方法であって許されるものではない。
更に、原判決は、「同日午前までには修学旅行による疲労もほぼ解消した」と認定しているが、かかる認定の根拠となる証拠は全くなく、公務と死亡との相当因果関係を切断するための恣意的認定と云わざるを得ない。
6 小括
(1) 超過勤務の連続
原判決は、岡林の発症前の勤務状況について認定はしているものの、特に発症一週間前の勤務状況が従来からの新設校における学年主任、特活指導主任という過重な日常の勤務に加え、ポートボールの練習指導、修学旅行の引率、愛日教育研究会の準備および子どもの本について語る会の準備によって勤務時間および勤務内容すなわち量と質の関係において、とくに過重な公務を強いられ、睡眠時間が著しく削られ蓄積している疲労が回復するどころか更に蓄積を一層増大させていっていることを総合的、有機的に検討しておらず、相当因果関係の法令解釈適用を誤っている。
すなわち岡林は、発症の週の同月二三日(月)は修学旅行の前日のため二時間の代償休養を取得できるはずのところ、修学旅行の準備のために取得できなかった。
二四日(火)は修学旅行のため午前五時三〇分に集合し、断続的な四時間ほどの仮眠をとっただけで、二五日(水)は午後六時まで勤務が続いた。
二六日(木)は、修学旅行の翌日のため二時間の回復措置を取得することができるはずのところ、翌日の愛日教育研究会の準備のために一時間しか取得できなかった。
二七日(金)、二八日(土)はいずれもポートボール指導のために七時四五分に出勤している。
そして、二八日(土)の意識障害発生時も時間外勤務中であった。
岡林はこのように、ほぼ連日にわたる時間外勤務、休養・回復措置の取得不能を強いられていたが、このなかでも特にポートボール練習指導・練習試合のための時間外勤務は、教職員の時間外勤務について定めた「国立及び公立の義務教育諸学校等の給与等に関する特別措置法」(昭和四六年法律第七七号)および同法に基づく「教務教育諸学校等の教育職員の給与等に関する特別措置条例」(昭和四六年一二月二四日愛知県条例第五五号)所定の時間外勤務に該当しない勤務であった。すなわち同右条例第七条二項によれば、教職員の時間外勤務は、①生徒の実習に関する業務、②学校行事に関する業務(例えば修学旅行)、③教職員会議に関する業務、④非常災害等やむを得ない場合に必要な業務の四項目であって臨時又は緊急にやむを得ない必要があるときに限定されており、それ以外には時間外勤務を命ずることができないとされている。これらによれば、ポートボール練習・試合は右四項目には該当せず、したがって、法律・条例上認められない時間外勤務であった。
このような、この発症直前の一週間は岡林にとって肉体的にもかなり過重なものであった。
(2) 更に、この週はまず二四日(火)、二五日(水)と二日間にわたり修学旅行という日常の教育活動とは異質な学校行事が行われ、続いて翌二六日(木)には、回復措置を犠牲にして愛日教育研究会の準備にあたり、二七日(金)には同研究会において研究発表を、二八日(土)にはポートボールの対外試合に臨むなど、肉体的疲労の中で、日常勤務にはない異質の精神的緊張を強いられる業務に連続して携わっている。
しかもこの間二六日(木)、二七日(金)は各々深夜(二七日、二八日)の午前二時まで子どもの本について語る会の報告準備をしている。
原判決は、「この会の準備や参加が研修扱いを受けたようなことはなかったものであって、教職員の仕事の性質の特殊性を十分に考慮しても、同会での活動を公務上のものとみることには疑問があり、同会の準備のための作業を自宅で深夜までしていたことをそもそも公務の遂行と評価することはできない」(二六丁裏)とする。
しかし、子どもの本について語る会は子どもの読書指導についての研究会であって、教育職員である岡林の職務そのものであり、また、仮りに子どもの本について語る会の出席およびその準備も公務と解すべきである。監督者たる校長等の指導・監督の下に行われてたものでないことから、したがって純然たる公務とはいい難いものであったとしても、他の公務員と違って、教育公務員特例法一九条において「教育公務員は、その職責を遂行するために、絶えず研究と修養に努めなければならない」と定められ、「勤務時間外にあっても、このような自主的研修が期待されている」(文部省地方課法令研究編「全訂学校管理読本」二四一ページ)あるいは「個々の教員が主体的に研究に取り組み、研修活動を強化すべきことが要請される」(東京教職員人事問題研究会「補訂東京都の教職員人事管理」一四五ページ)のであるから、岡林が右時期に従事していた子どもの本について語る会の準備作業は優に、公務に準ずるものと解すべきである。
しかもこれらの研修は教育公務員の職責を遂行するためになされ、しかも研修としての内容、効果において職務としてなされる研修と全く異なるところがないものであり、同じように職責の遂行、子どもの教育に活かされていくものである。
子どもの本について語る会の準備はこのように公務あるいは公務に密接に関連する活動としてなされたものであるから、これに基づく身体的・精神的負担について、公務以外の要因に基づく負担であるとして公務起因性判断の資料から除外するのは相当ではなく、右負担についても公務起因性を判断する際の要因として検討すべきものである。
(3) このように岡林にとって発症直前の一週間は心身ともに過重な公務の連続であったことは明らかである。
三 岡林の発症当日の業務過重性について
1 原判決について
原判決は、発症当日たる同月二八日の状況について「昭和五三年一〇月二八日、訴外岡林は午前七時四〇分過ころ出勤し、直ちにポートボールの練習指導を行い、続いて朝の会に参加したあと、時間割表のとおり社会、家庭、国語の授業をし、午前一一時三五分から五〇分まで清掃指導をした。当日は同市内の東栄小学校で練習試合があり、同人は他校の試合で審判することになっていたため、午後一時ころ自家用車に児童を同乗させて同小学校へ出発した。同人は、前記四において判示したように、体調が十分でなかったが、午後二時ころに始まった東栄小学校対城山小学校の試合に審判として臨んだ」(二六丁裏〜二七丁裏)と認定しているが、ポートボールの審判開始以降については「同人の脳内出血はその意識障害発生直前まで行っていたポートボールの審判中ではなく、それ以前遅くとも当日の午前中であったと推認するのが相当」(一九丁表)であるとし、「岡林の死亡につき公務上外の認定するにあたって判断の対象となる公務は当日の午前中までのものであって、その後におけるポートボールの審判を行ったことによる負荷は同人の死亡と無関係であるというべきである」(一九丁裏)と認定している。
2 発症当日の業務は過重である
(1) 岡林は、発症当日の二八日(土)の勤務時間は、午前八時三〇分から午後〇時三〇分までであるのに対して、ポートボールの練習指導のために午前七時四七分ころ自家用車で登校し、直ちに体育館に向かい、ポートボールの練習をし、岡林はその中でランニングシュート、攻撃、防御指導について自ら模範を示している。
(2) そして前述のしたとおり正規の勤務時間が午後〇時三〇分で終了した後も午後一時ころまで学級委員認証状作りを経て、午後一時ころ、試合出場の児童を同乗させて自家用車で試合会場の東栄小学校へ出発し、午後一時一五分ころ同校に到着した。
(3) またポートボールの審判は、上告理由第三点において論述するとおり岡林にとっては極めて負担の大きいものであったと云わなければならない。
したがって、発症に至るまで、岡林は蓄積された疲労状況のなかにおいて肉体的にも精神的にも多大の負担を伴う業務を行っている最中に発症し遂に死に至ったのであり、同日午前中に発症したとしても、同日午前七時四〇分すぎからポートボールの練習を行い、同日午前八時三〇分から日常業務を行い、同日午後にあってはポートボールの審判を行い、遂に死にいたったのであって、この間の業務遂行を相当因果関係の判断において排斥することは許されない。
四 岡林の健康状況(疲労状態)について
1 原判決について
原判決は、「通常人が日常的に経験するのと同じように、岡林が九月当時何かの事情で一時的に疲労が身体に蓄積したということはあったかもしれないが、九月以降発症に至るまで身体不調ないしは疲労状態が継続したとは認めることはできない」(二八丁裏)と判示し、同年九月以降発症当日の同年一〇月二八日まで疲労状態が継続していないと判示している。
2 岡林は疲労困憊の状態にあった
(1) 岡林の同年九月までの勤務状況、同年一〇月以降の勤務状況、ことに発症直前の同月二三日以降の一週間の勤務状況および発症当日の同月二八日の勤務状況をみると、岡林の勤務は、他の一般的な教職員の勤務状況を明らかに越えた勤務状態であったことは明らかであり、またポートボール練習指導や修学旅行の引率による肉体的精神的な疲労は極度に達しており、他方右両勤務に加え研究会等の準備のために睡眠時間が減少したため、疲労が回復するどころかより一層疲労が蓄積されてきたのである。
(2) 岡林の疲労度は、
第一段階(一〇月一日〜一〇日)
一日に運動会、翌日代休があったが、その他は平常勤務が多かった。
第二段階(一〇月一一日〜二二日)
ポートボールの早朝練習指導がはじまり、起床が当然早くなったが、就寝はそれほど変わらず、従って睡眠時間が減少した。
そしてポートボールの練習指導のため、自ら体を動かし、睡眠不足も加わって徐々に蓄積疲労になっていった。そのため二二日は予定を変えて、家でゴロ寝していた。
第三段階(一〇月二三日〜二八日)
修学旅行とその前後の仕事、及び二八日のポートボールの対抗試合へ向けての練習指導とが重なり、通常業務以上の負荷が加わった。
すなわち、
① 睡眠効果
午後一〇時〜一一時に就寝し、八時間の睡眠をとった場合の睡眠効果を一〇〇%とした場合、岡林のこの期間における同効果は次のとおりであった。
一〇月二三日 八四%
二四日 一九%
二五日 一二五%
二六日 六七%
二七日 六五%
右の平均七二%を午後一〇時就寝に換算すると、この期間岡林は五日間連続して五時間三〇分の睡眠しかとれなかったと同様の睡眠不足に陥っていた(甲第一号証一九頁、宮尾証言一七頁一丁〜)。
② 勤務負荷
始業時間が午前九時で、八時間拘束勤務のときの勤務負荷を一〇〇%とした場合、この期間の岡林の同負荷は、
一〇月二三日 一一四%
二四日 二八二%
二五日 二三二%
二六日 八六%
二七日 一〇〇%
であり、その平均負荷である162.8%は、五日間連続して拘束一二時間の勤務を、途中休日なく続けたときに相当する(甲第一号証二〇頁、同前証言)。
つまり、この期間、岡林は連続五日間にわたり毎日一二時間労働に従事したその疲労を、連日五時間半の睡眠で回復しようとしていたことになるが、これでは、疲労回復に役立たないことはもちろん、かえって、疲労の蓄積の度合を極度に深めていったことは明白である。
大島正光「疲労の研究」二九四ページによれば左記の如く、疲労の段階区分を行っている。
「Ⅰ 翌日に持ち越されない疲労
Ⅱ 翌日に持ち越される疲労
(a) 休日によって取り戻しうる疲労
(b) 正規の休日の他に欠勤によって取り戻しうる疲労
(c) 疾病になる程度の疲労」
この段階区分によると、前記第三段階の疲労は明らかに翌日へ持ち越される疲労であり、しかも正規の休日の他の欠勤によって取り戻しうるかどうか疑わしい程度まで蓄積しており、疾病になる可能性がある程度、すなわちⅡ(b)あるいはⅡ(c)程度の疲労―前疾病状態(前記宮尾証言二丁)―に達していた。岡林の疲労は二八日に至って、まさしくいつ発症してもおかしくない状態におかれていた、といわねばならない。
(3) 原判決は、岡林が右超過勤務によって前述のとおり疲労を蓄積し過労状態にあったにもかかわらず、岡林の勤務状況についてことさら各々の勤務のみに基づいた疲労状態についての評価をするだけであって、各々の勤務によって形成される疲労の総合的かつ有機的な判断を行なわなかったため、同月二八日に発症した原因が右蓄積疲労によることを認定しなかったのであって、経験則に違反する重大な判断、および相当因果関係の法令解釈ならびにその適用を誤ったものである。
第三 結論
一 原判決の判示
原判決は、岡林の公務およびそれによる一定の疲労を論じてはいるものの、その公務は「小学校教員の勤務に通有的なもの」(三一丁表)、「標準的な教員との比較からしても、同人としても、少なくとも昭和五三年一〇月初めころまでは過重なものではなかった」(一三丁裏)、「一〇月初めころから発症した一〇月二八日午前までの間に遂行した公務量は、小学校教員の標準的公務量や従前同人が全く支障なく遂行してきた同人自身の健康度にふさわしいと考えられる公務量に比べても、同人に過重な精神的肉体的負荷がかかる程に持続的に多かったと認めることはできず、同日午前までには修学旅行による疲労もほぼ解消されたと認められる」(三三丁裏)としたうえで、「結局訴外岡林の公務遂行の状況及びこれによりもたらされたと考えられると精神的肉体的負荷の程度はこれまでるる認定してきたとおりであって、これをもってしては、司法的判断としても、同人の有していた脳内微小血管の先天的奇形が破裂したのは、自然的経過をこえて右負荷が相対的に有力な原因となったと見て、同人の死亡につき公務起因性を肯定することは未だ困難であると言わざるを得ない」(三四丁裏)と判示して岡林の公務過重性を否定している。
二 原判決の判断の誤り
しかし、岡林の四月からの公務は、同校教職員の年齢構成の特殊性から六学年学級担任、学年主任と校務分掌における特活指導主任という重い職務と責任が同人に集中するなど、同校教職員のなかでも最も過重であったうえ、これに新設校という特殊な環境、人的関係とそのなかでの学校・ルールづくりという、一般の既設校の教職員には全くない特殊な職務が加わっていたものであり、本人の職務経験からみても、一般的教職員の職務内容からしても、決してたんに通有的、標準的などというものではなく、肉体的にも精神的にも過重性はきわめて明白である。
しかも死亡前一週間は、右の日常公務過重性に加えて、一週間連続して時間外勤務、休養・回復措置の取得不能という肉体的過重性を強いられたうえ、その間に修学旅行、教育研究会での研究発表、ポートボール対外試合など、日常公務とは異質の特殊な公務が連日のように加わり、これにより相当に精神的過重性を強いられたものである。これによって岡林の疲労度は決定的な段階に達したものである。
現に第一審判決は、同年四月一日以降の勤務状態および特に同年一〇月以降の勤務状態を詳細に認定したうえで、「以上の一連の経過における訴外岡林の勤務による負担、殊に、同月二四日以降の負担は相当程度に高度であったものということができ、このような状態において、ポートボール練習試合の審判をしたことによる身体的・精神的負荷が加わったことにより、訴外岡林の受けた身体的・精神的負担は、前記血管腫様奇形等の素因等に作用し、脳内微小血管の破裂を生じせしめるに足りる程度のものと認めることができ」る旨判示し、岡林の死亡が公務に起因していることを認めているのである。
このことは、普段疲労を口にしない岡林が死亡前々日、前日、当日の三日にわたりそれぞれ妻に疲れを訴えたり、疲れがとれないから休むと言っていたこと、また当日学校およびポートボールでの出張先で二度にわたり同僚に審判の交代を頼んでいることから明らかである。
岡林は、このような同人の公務の特殊性とそれによる疲労の蓄積、およびそれにさらに肉体的、精神的に過重な公務が集中的に加わったことによって発症、死亡するに至ったものであり、まさにこれらを総合的・有機的に判断しなければならない。しかるに原判決は業務の過重性とそれによる蓄積疲労について、このような総合的・有機的な検討・判断を怠ったものであり、それは著しく不当であるとともに、原判決は、岡林の公務の過重と死亡との相当因果関係に関し、起因性がないと認定したことは経験則に違反し、相当因果関係の法令の解釈適用を誤ったものが明らかである。
上告理由第二点 原判決は本件特発性脳内出血の発症に関し、以下のとおり経験則違反、法令解釈・適用の誤りがあり、ひいては判決の結果に影響が明らかな審理不尽ないしは理由不備の違法がある。
第一 問題の所在
原判決は本件特発性脳内出血(以下本件疾病という)の出血の始期を昭和五三年一〇月二八日の午前であったと推定し、これにもとづき同発症時期を右出血の始期と認定した。
けれども右認定には次のとおり誤りが明らかである。
第二 本件疾病の出血始期について
一 原判決の判示
原判決によれば本件疾病の症状としては「出血の始まりその血腫量がある程度まで増大した段階で頭痛・吐気等の初発症状が現れ、血腫量の増大に伴い各種の症状が現れ、やがて意識障害発生という事態に至ることが認められ」るところ、「公立陶生病院でのCTスキャンから認められる脳内部での血液の流入状態、それから推認される流入経路、五五グラムという血腫量、高血圧性脳内出血における血腫増大に関する医学的知見、斎藤義一も本症の症例報告の中で意識障害の遅れを指摘していること(前掲乙第五九号証)等からすると、本件において出血が始まってから前記のように意識障害の発生するまでの時間は一〇分、二〇分という単位の時間ではなく少なくとも数時間程度を要したもの」(一八丁表)と判示して、本件疾病の出血始期は、岡林について意識障害が発生した前記当日午後二時ころから数時間遡った当日午前であると推定した。けれども右推定は以下の理由により医学的経験則違反の誤りが明らかである。
二 原判決判示の問題点
1 原判決の前示認定によれば本件疾病は出血がはじまりその血腫量がある程度増大した段階で頭痛・吐気等の初発的症状があらわれ、その後数時間の時間的経過の後に意識障害があらわれたとし、当日午前中における岡林の健康状態(一八丁裏〜一九丁表)をもって右初発的症状と理解したことが窺われる。
けれども右健康状態をもって本件疾病の初発的症状とする医学的根拠は僅かに神野哲夫医師の証言(平2.12.10調書一四丁裏)および同証人作成の乙第七七号証が存するのみであるが、これとても「推測にすぎない」(同右調書)とされているのであるから、先づこの点において原判決の右推論は合理的根拠を欠くものといわねばならない。この点、一審判決は「また、前記判示のとおり、発症当日の朝から岡林には異常な様子が認められるのであるが、証人神野哲夫の証言によれば、出血開始後の症状については研究されておらず、これを医学的に明らかにすることは困難であるというのであるから、右異常をもって出血が開始したものと断定することはできない」(第一判決書一〇四丁裏〜一〇五丁表)と判示して右健康状態と出血始期との関連を否定している。
2 そもそも特発性脳内出血の場合、乙第五九号証によるとその症状の態様・進行経過は様々であり、ましてこれを出血の時期に遡って明確にすることは医学的に困難であるとされている。
すなわち、特発性脳内出血の場合に出血が始まってから、先生が言われた許容限界を超えて倒れるとかいうような症状が出てくるまでの間というのは普通の場合としたら症状は出てこないんですか。
出てくる場合も、出てこない場合もいろいろあるんじゃないでしょうか。そういう研究は出来ないですよね、そういう人ばかり集めて、というわけにいきませんしね。我々の研究は患者さんが入ってきてから後、何か症状が出てきてから後の話なんです。(一審二二回神野哲夫証人調書二九丁表)
右は出血始期以降の症状にかんする一審裁判官の問いにたいする脳外科専門医神野哲夫医師の証言部分であるが、このように出血開始以降の症状の経過についての医学的研究はないのが現状とされている。(したがって同医師作成の乙第七〇号証記載の該当部分は同記載にもあるように他病である高血圧性脳内出血を例にした一般的推論と理解すべきであってこれを直ちに本件疾病と同視するのは相当でないと解する)。
一般論でいいんですけれども、脳内出血が始まった時期というのはなかなか分からないですか。
分かる場合も分からない場合もあります。この方の場合は何時始まったかということはちょっと分からないですね。(証人堀汎昭63.12.13付証拠調調書一二丁裏)
意識を失われるどのくらい前から出血があったかというのはどうなんでしょうか。CTを見ていただいても結構なんですが。
意識を失うというか、意識を失う前に症状の訴えがありますね。気分が悪くなって、頭が痛くなってということがあるんですけれども、その時期にかなりの出血があったろうということは想像できますけれども、そのときにどんと最初の出血があったって別に不思議ではないと思いますけれどね。ただ、いつ起こったんだ、何時何分だと言われても、これはちょっと分かりませんけれども、少なくとも、一日前でも二日前でもないということは言えると思いますね。(証人堀汎平元.1.24付証拠調調書一〇丁裏)
右堀汎医師は神野医師同様脳外科専門医であり、本件疾病の手術・治療を担当した医師であるから、同経験からも右証言のとおり意識障害の時期より逆上ってその症状から本件疾病の出血の始期を特定するのはできない旨指摘している。
3 原判決は乙第五九号証を根拠に特発性脳内出血の症状に意識障害の遅れを認めているが、同号証によれば急速に意識障害を発生した症例(17)も報告されているのであり、本件疾病の場合はまさにこの症例のごとく急激に意識障害が発生したことは前記堀医師の左記各証言より明らかである。
岡林さんの場合は前頭葉の出血なんですけれども、前頭葉からの出血でもそういう意識の中枢を冒すということはあるわけですか。
普通はありません。この方の場合は、脳室内に破れたということが意識を悪くした一つの原因だと思います。
脳内の中に血液が入ると今おっしゃったような意識障害を起こす、ということになるわけですね。
はい。(証人堀汎昭63.12.13付証拠調調書一一丁裏)
特発性脳内出血の場合、出血が始まってから、例えば一五分とか二〇分とかの間で意識障害が出るということはあるんでしょうか。
それは、出血の場合によってそういうことはあると思いますし、この方の場合も、先回も申し上げたと思うんですけれども脳室の中にも血腫があったということですね。それで、先程ちょっと申し上げましたけれども、脳室の中にも血腫があったということは脳室の中に血の塊が入りますと、一般に意識というのは悪くなると考えていいと思います。それで、出血がある時期起こって、それがこの方のように皮質間にずっと広がっていくよりも先に、あるいは同時に脳室のほうにも破れたというようなことがありますと、出血が起こってから短時間に意識がなくなっていくことも考えられると思います。(堀汎平元.1.24付証拠調調書一〇丁裏〜一一丁表)
すなわち、同医師は臨床体験から本件疾病の場合、急激に意識障害が発生したことおよびその理由は出血が脳室内に短時間に流入したためであることを明確に診断しているのである。
さらに、同医師は出血が少なくても本件疾病のように脳室の中に血腫が破れていけばその時点で意識障害は発生すること(前記平元.1.24付調書二二丁裏)、CTスキャン上、出血は新鮮に写っていて(前記昭63.12.13付調書CT)、浮腫も認められなかったので出血も意識障害の発生時より当日朝、前日といった長時間以前に起こったとは考えにくい(前記平元.1.24付調書二一丁裏)と臨床所見をのべている。
三 結論
以上本件記録上明らかな医学的根拠を総合すれば、原判決が特発性脳内出血の一般的な症状の経過にとらわれるあまり、本件疾病の具体的症状の推移を看過して、医学的に特定が困難とされる出血の始期を前記当日午前と安易に推定したのは医学的経験則にもとづく採証の法則に違反したものといわざるを得ない。
第三 本件疾病の発症について
一 発症の時期についての医学的知見
原判決は前述のように本件疾病の発症時期をその出血始期と解して前記当日午前と認定した。けれども特発性脳内出血治療の実際は患者が症状を訴えたときにその他覚的症状の診断をもってその発症とされている。
すなわち普通、こういう脳内出血の場合の発症というのはどういうことを指すのですか。
脳内出血の発症ですか……。
先程岡林さんの場合には急激に発症したから云々というご証言がありましたね。そういう意味の発症ということなんです。
出血が始まったときと、患者さん自身が症状として例えば頭が痛いとか気分が悪いとかいうようなことを訴えるのは必ずしも同時ではないですね。だから岡林さんの場合、急に気分が悪くなったときには既に出血が始まっていたというふうに思いますけれども、私たちは患者さんの訴えがいつから始まったかというふうなときを、病気の症状が出たということで発症と言うこともありますけれども、症状が出なくていつから出血が始まったかといいうことはわかりませんけれども、そこの時点を指すということはあまりありません。だから症状を訴えた時期がやっぱり発症の時期というふうに考えていいかと思うんです。
(証人堀汎昭63.12.13付証拠調調書一一丁裏〜一二丁裏)
同様の指摘は神野医師による、
我々の研究は患者さんが入ってから後、何か病状がでてから後の話なんです。
との前記証言にもみられるところであり、これらによれば特発性脳内出血にあってはその出血始期を特定するのは困難であるところから、その発症とは同病状とみられる症状が発生したときと医学上解されていることが明らかである。
二 本件疾病の発症時期
これを本件疾病についてみると特発性脳内出血の病状であると医学上明確に診断された症状は当日午後二時ころの意識障害をおいてない(当日午前の岡林の健康状態はこれを本件疾病の症状とするには医学的根拠がうすいことは前述のとおりである)のであるから、結局本件疾病の発症は右同日午後二時ころと解すべきである。ところが、原判決は、これを当日午前と認定して、当日午後二時ころにおける岡林の公務と本件疾病の発症との関連について判断をしなかったのである。
三 結論
よって原判決には、地方公務員災害補償法第三一条の解釈適用について明らかな法令違反があるとともに、民事訴訟法第三九五条六号の「判決ニ理由ヲ附セズ又ハ理由ニ齟齬アルトキ」に該当する違法が明らかである。
上告理由第三点 原判決には本件疾病の増悪に関する判断について、法令解釈・適用の誤りがあり、ひいては判決の結果に影響が明らかな審理不尽ないしは理由不備の違法が明らかである。
第一 問題の所在
原判決は前述のとおり本件疾病が当日午前に発症したと認定することで「公務上外の認定するにあたっての判断対象となる公務は当日の午前中までのもの」(一九丁表)と限定した結果、当日午後二時一〇分ころ岡林が従事していたポートボール試合審判公務は「死亡とは無関係である」(前同)と判示して、その頃発生した岡林の意識障害に対する右公務の起因性については全く判断を回避してしまった。けれども原判決の右判断には以下のとおり法令解釈・適用の誤りが明らかである。
第二 本件疾病の増悪
一 原判決判示の問題点その一
前記日時に岡林に発生した前記意識障害が本件疾病の症状であることおよび、これが致命的な原因となって死亡に至ったことは一件記録から明らかであり、さらに原判決によれば右症状は当日午前に発症した本件疾病の最終症状であったこと(一八丁表)からみて、原判決認定どおり本件疾病が当日午前に発症したとすれば右意識障害がその増悪の症状を示すことは疑う余地のないところと考えられる。ところで原判決によれば「素因または基礎疾病を有する者がこの素因等が原因または条件となって発症したときでも公務に従事したことが相対的に有力な原因となって素因等の増悪を早めて死亡するに至ったときは公務と発症との間には相当因果関係が肯定される」(一七丁表〜裏)のであるから、この判示に従えば本件疾病の前記増悪症状である前記意識障害とその発生時における前記ポートボール試合審判業務との関連は本件災害の相当因果関係の判定にあたって重要かつ不可欠な判断対象でなければならなかった。しかるに原判決は右審判の公務は死亡とは無関係と判示したのであるから、原判決の右理由間には明らかに齟齬があり民事訴訟法第三九五条六号に該当する違法があるというべきである。
二 原判決判示の問題点その二
原判決は前述のとおり前記当日午後の公務と本件疾病との関連を捨象してしまったのであるが、その前提には前記意識障害に至る本件疾病の推移が午前の出血開始から時間の経過に従って自然に重篤化したとの理解に基づいたものと考えられる。すなわち当日岡林が午後帰宅して休養したとしても又、校務以外の所用に従事したとしても必ず午後二時ごろには意識障害を伴う程に悪化したとの前提に立ってはじめて可能な判断ということができるのであるが、原判決は右前提ないし理解の合理的根拠を全く明らかにしていない。僅かに「(前記判示の当日の状況からしても、同日午前中に始まった出血が一旦止ってそれがポートボールの審判によって再開したものと認めることはできないといわねばならない)」(一九丁表〜裏)と判示して、再出血の可能性を否定するのみあるが、これとても本件記録上はこれを裏づける証拠は全く存在しないのである。かえって、
そうすると、大体、出血が始まってからのどのくらいの時間が経過すれば凝固して止まるということになるんでしょうか。
六時間を超えて出血するということは一応ないと言われてますけどね。六時間以内に止まるんではないかというふうに言われています。もちろん、一時間で止まる人もあるでしょうし、二時間で止まる人もあるでしょうし、六時間を超えて出っぱなしということはないと言われています。(一審平元・一・二四付証人堀汎証拠調調書九丁表)との証言によれば本件疾病のごとき症例では六時間以内には出血が止まるとされている。さらに本理由書末尾添付同医師作成の意見書(資料1)によれば、「特発性脳内出血の出血の態様は様々で臨床症状の経過も又様々であります。出血の態様も一度出血がおこりそれ以降全くおこらない場合。一旦出血したのが止血し、ある時期再出血をおこす場合。又これをくり返す場合。持続的に出血がつづく場合色々であります。」(五頁)と述べられて再出血の可能性が示唆され、又「特発性脳内出血の全ての例が二審の根拠としている如く出血の進行が徐々にはじまり、ある程度の大きさになって頭痛等の症状が出現し意識障害を来すというわけではありません(乙第五九号証)。これは出血源となった血管の脳内での場所が特定できない以上、当然のことであります。」(三頁)と指摘され、原判決判示のような自然経過は疑問とされているのであるから原判決の右判示のみではとうてい本件疾病がその出血開始後自然の経過で増悪して意識障害に至ったとの合理的論拠とはなり得ないといわねばならない。
三 原判決判示の問題点その三
前述のように特発性脳内出血にあっては発症後の症状の経過は様々で、「無症状で経過するもの、徐々に症状が進行するもの、症状が一時寛解するもの、急速に意識症状が進行するもの(乙第九五号証)等」(前記意見書三頁)がみられ、これら症状の変化には患者の行動が大きく影響するとされている(同右意見書六頁)。すなわち、「これらの経過は、出血源となった血管の大きさ、損害の程度又血圧等の生物的・物理的要因によって左右されますからその後の患者のおかれた状態によって大きく異なってきます。すなわち出血がはじまってから患者が安静にしている場合と、肉体的・精神的負荷のかかった状態では後の場合のほうが明らかにその後の出血の程度・進行ひいては病状の悪化に大きく影響します」。
以上の見解は前記神野医師も
一般論でいいんですが、血圧が作用すればいったん出血をしてとまった血腫の部分から再出血したり、あるいは出血中その出血量が増えたりということは一般論としては考えられますか。
ええ、中にはございます。(平三・二・一八付証人神野哲夫証人調書九丁裏)と認めるところであるので、本件疾病と岡林の相当因果関係の判断にあたっては、かりに、原判決の認定のごとくその発症が当日午前であったとしても、その後の症状の経過とくにその増悪とその間の岡林の公務との関連を無視することはできないと解すべきである。
以上この点に関し詳述する。
第三 当日午後の岡林の公務と健康状態
一 ポートボール試合審判前の勤務状況
乙第六号証、小塚裕子、伊藤康子の各一審の証言によれば、岡林の前記当日(土)におけるポートボール試合審判前の勤務状況は次のとおりであった。
午前 七時四七分頃
自家用車で登校。直ちに体育館へむかい、ポートボールの練習に入る。そのなかで岡林は特にランニングシュート、攻撃、防御指導について自ら模範をしめし技能体得をめざしている。
午前 八時三〇分〜八時四〇分
職員打合せ会
午前 八時五〇分〜九時三五分
第一時限、社会授業
午前 九時四五分〜一〇時三〇分
第二時限、家庭授業
午前一〇時三〇分〜一〇時五〇分
放課、就学時健康診断係児童に指示後職員室で一息入れる。
午前一〇時五〇分〜一一時三五分
第三時限、国語授業
午前一一時三五分〜一一時五五分
清掃・下校指導
午前一二時一五分〜一二時三〇分
職員打合せ会
午前一二時三〇分〜一時
「学級委員認証状」作り(一〇回、小塚証言一〇丁、一五回伊藤証言六丁)午後一時頃試合出場の児童を同乗させて自家用車で試合会場の東栄小学校へ出発。一時〜五分頃到着。
二 右勤務状況下の岡林の健康状態
乙第一五号証、甲第二号証、小塚裕子・宮地五郎の各一審証言、岡林里美本人供述等によれば、当日朝より前記勤務時間中にかけて岡林の健康状態には次のような異常がみられた。
① 自宅にて
朝食に食欲がなく、疲れたともらす(乙第一号証)、出勤前一度「休む」という(二三回岡林供述)。
② 学校にて
第一時限 教室へ入ってきた時の顔色が悪く、前に立ったとき、青白い顔をして、しばちく頭をおさえていた(甲第二号証)。
第二時限 机にひじをついて頭をかかえて座り、いつもとちがう気のない返事をしていた(甲第二号証)。
昼食 顔色がとても悪く、同僚の教師に「えらいから今日の審判を代わってくれ」と頼んでいた(甲第二号証、一一回小塚証言一二丁裏、一五回宮地証言一二丁裏)。
③ 車中にて
いつもと違って全く話をされなかった(甲第二号証)。
三 審判時の状況と岡林の健康状態
乙第六号証、乙第一三号証、甲第二号証、前記宮地証言によれば、岡林の審判時の状況は次のとおりであった。
岡林は東栄小学校到着後、会場の体育館で午後一時三〇分頃から軽い準備運動を児童にさせたあと、一時四五分頃から開始させた東栄小学校対城山小学校の練習試合の審判を担当することになった(乙第六号証)。
ポートボールとは、一チーム七名の二チームがサイドライン二五メートル、エンドライン12.5メートルのコートのなかで、たがいにボールをとりあい味方のゴールマン(両サイド中央のゴール台に立つ)にわたすことで得点を競うゲームで、競技時間は前半一〇分、後半一〇分にわかれ、その間にハーフタイム一〇分をとるほか、前・後一〇分の試合中にも各一回一分の作戦タイムがとれることになっている(乙第一三号証)。
審判はボールをパスでつないですすむ試合中、たえず選手とともに両ゴールの二五メートルの間を走りながら移動し、笛を吹いたり、体の動作でボールの操作について反則の有無を判定するほか、得点のカウント、試合時間の計時等をおこなうものである。テニス、バレーボールと異なり審判自身の動きを必要とし、ラグビーと違ってプレーを戻すことができないうえ、例えば、回転するときに爪先の場所が移動してはならないというルール(ピコット)を判定するためには、選手の細かい動作の観察を瞬時に要するなどポートボールの審判には激しい体動に加えて審判中、連続する精神の非常な緊張を要求されるのが特色となっている。
このため通常は一試合に二名の審判がサイドラインの両側にわかれてつくのであるが、当日は岡林が一人で二役をこなしたのである(一五回宮地証言)。
この時期の岡林の健康状態は次のとおりであった。
① 審判前
東栄小・体育館でのメンバー確認の際、児童に「えらい(疲れた)」といったので、「先生どうしたの」とたずねたが返事がなかった(甲第二号証)。
同行した宮地五郎教諭にむかって、しんどそうにしながら「審判を代わってくれんか」と申出る(前記宮地証言一三丁表・裏)。
② 審判中(前半戦)
頭をふったり、手で前頭部をおさえたりしていた(甲第二号証)。
反則指示(トラベリング)が「ゆっくり、ダラリと回しておられたような感じ(宮地証言一五丁)、頭をたれた感じで動作し、合図をだすのがめんどくさそうに見えた(甲第二号証)。
一分間の作戦タイム中、「しゃがみ込んでしんどそうにされていた」(同右証言一五丁)、しゃがんで手で頭をおさえていた(甲第二号証)。
前半戦の笛の吹き方も弱々しい感じがした(同右証言一五丁裏、甲第二号証)。
③ 審判中(ハーフタイム)
前半戦が終わり、一〇分間のハーフタイムに入った直後の午後二時一〇分頃岡林はセンターサークル(乙第一三号証一三頁)付近で、額を押さえるようにしてふらふらと千鳥足になり、そのまま自校のチームのそばまでくるや、ひざまずいて、もたれこむような形で倒れた(乙第四号証、伊藤証言一五回一〇頁)。直ちに、校内の保健室に運ばれたが、回復の様子が見られず、かえってものが言えず左手が動かなくなるなど容態が悪化したので、救急車が手配されたが、到着前に顔色が悪くなり意識がなくなった(乙第四号証)。
救急車で午後二時三〇分ころ、瀬戸市内の井上病院に運ばれたが、その車中二度嘔吐している。同病院では脳出血のうたがいと診断され午後四時二〇分に同市内の公立陶生病院に転送されたが、その頃岡林は意識を喪失し、瞳孔は不同となり、対光反応はほとんど消失し、呼吸障害が認められた(乙第二号証)。
四 小括
以上の次第で岡林は当時午前の公務を支障なく終了したあと、午後のポートボール練習試合の審判に臨むため自家用車にて東栄小学校に移動し、午後一時三〇分頃より審判業務に従事したのであるが、その頃より同人の健康状態は悪化し、ついに午後二時一〇分頃に至り意識障害をきたした経過が明らかである。右経過によれば本件疾病は原判決認定のとおり右当日、午前に発症したとしても、その程度はいまだ岡林の公務の遂行に支障をきたす程度ではなく、その状態は午後の審判業務まで続いたところ、右審判途中で急激に増悪して意識障害を発生し遂に死亡に至ったものということができる。
第四 審判の生理的負担程度
一 宮尾医師らによる実験結果
甲第一号証、宮尾克証言によれば、宮尾医師らは、昭和五五年七月二九日、東栄小学校体育館の前記、同一コートにおいて、岡林と身体条件をほぼ同じくする被験者を審判者として、実際に六年生の児童にポートボール試合をさせて、このときにおける審判者の生理的影響を実験した。
右結果によれば、以下の諸点が明らかである。
イ 運動量
試合開始後より心拍数(回/分)は九〇から一四〇前後へと急激に増加し、以後、試合の進行につれて増加を続け、前半戦(五分)の終了直前には、一七二(ピーク値)を示した。休息二、三分(座位)の間に、一〇〇に減少した心拍数は、後半戦(五分)開始とともに増加し、試合中、ほぼ一六〇の安定した値(プラトー値)を維持した。又、呼吸数のピークは前・後半戦とも四八で、前半戦では、二回記録している(甲第一号証、図2、宮地証言一六回一〇丁)。
ロ 最大酸素摂取量に対する割合(負荷)
年齢三五歳男子の最大作業負荷時の最高心拍数は一八〇プラスマイナス一〇(甲第一号証図5)、酸素摂取量は平均3.2l/分(同号証図7)であり、五〇%酸素摂取量時の心拍数は、一二五(右図5)であるから、これを前記実験で得られた運動量にあてはめると、最大酸素摂取量時の負荷を一〇〇とした場合、前記ピーク値は約九〇%、プラトー値は約七九%となり、酸素摂取量は、ピーク時で、2.9l/分、プラトー値で2.4l/分となる。この値は、「極度に激しい筋労働」、「クロール水泳短距離泳」(ピーク値)「激しい筋労働を超え、材木伐出し作業を上廻る運動」(プラトー値)の値に匹敵する(甲第一号証一〇頁、図8宮尾証言一六回二一丁〜)。
ハ 血圧への影響
甲第一号証図6には、最大酸素摂取量に対する%を横軸に、血圧(最高、平均、最低)を縦軸に表してある。これによると、前記、ピーク値割合九〇%の運動負荷時の推定血圧値(但し脚運動時)は、最高一七〇プラスマイナス二〇ミリ、最低七五プラスマイナス一五ミリ(但し、プラスマイナスαは標準偏差六八%範囲を示す)であり、前記プラトー値割合七五%の運動負荷は平均一六〇/七五ミリとなる。
すなわち、ピーク値の場合、一〇〇人中六八人が最高血圧値で一九〇〜一五〇ミリ、最低血圧値で九〇〜六〇ミリの範囲内にふくまれ、さらに、標準偏差95%範囲では、最高血圧値は二一〇〜一三〇ミリ(99%範囲では、二三〇〜一一〇ミリ)の範囲にばらつくことが統計上明らかである。
但し、これらの数値は正常者による脚運動時であるので、これに手作業が加わったり、又睡眠不足・興奮等、血圧変更条件が影響すると、さらに高い血圧値を示すことになる(甲第一号証9頁、前記宮尾証言一七裏〜二〇表)。
二 一審判決の認定
以上の結果に対し一審判決は前記実験において被験者の最大負荷運動時の生理的指標最大値を文献上の理論値によったことを批判し、松井実験による実測値を評価している(一審判決書九六丁裏以下)が、右両者は次のとおり近似しているから、これを前提とした甲第一号証の実験結果をいちがいに否定することはできない。
記
最高心拍数
甲第一号証 図5
一八〇回/分(標準偏差プラスマイナス一〇)
乙第五〇号証 表3A
一八〇回/分(二回の平均)
B
一八〇回/分(〃)
最高酸素摂取量
甲第一号証 図7
平均3.2l/分
乙第五〇号証 表3A
2.95l/分(二回平均)
B
2.875l/分(〃)
結局、両実験による実験運動量の差は対象スポーツの種類、試合運び等によると考えられる。すなわち乙第五〇号証図一九のアメリカの高等学校バスケット審判の心拍数推移によれば、最高心拍数は一八〇まで達し、試合中も一六〇をほぼ推移していて、原告実験値と酷似する推移が見られるのであるから、松井実験結果より、本件ポートボール試合審判の生理的負担度が中等であるとした一審判決の判示は一考を要するものと考える。もっとも一審判決はかかる中等度の運動強度であっても岡林の場合、前示の疲労の程度、対外試合としての試合運び、一人審判での精神的緊張状態が加わり、短時間にて激しい運動となる場合もあったと認定してポートボール試合の審判は相当程度に負担が大きかったと判断した(一審判決書一〇〇丁表〜裏)。
三 小括
以上のとおり、岡林が従事したポートボール試合審判は健康な職員であっても生理的負担度の大きい公務であるところ、このときの岡林は原判決の認定どおりとすれば、本件疾病を午前に発症した上それ以前からの前記のごとき蓄積疲労とあいまってその健康状態は極度に悪化していたのであるから、同人にとって右審判のもたらす精神的緊張と激しい体動は通常人以上に同人の肉体的および精神的負担となったのはきわめて明らかといわねばならない。このため本件疾病は右審判時においてその自然経過を超えて急激に増悪して最終症状の意識障害に達し、遂に死亡に至ったと解するのが相当である。
第五 本件疾病の増悪とポートボール審判公務の起因性
一 発症後の増悪
発症後の業務により疾病が増悪した事例で公務起因性を認めた事件には後記⑧の判例(八五頁)と、左記二裁決例がある。
⑧の事件は、
長距離トラック運転手が運転途中、脳内出血の前駆症状を発症した後も運転業務を続行したことが死亡原因となった事例。
神戸東労基署事件(本理由書末尾添付資料2)は、
損害検査に従事中の職員が素因である高血圧症の前駆症状が発現した後において、異常な身体状況にかかわらずなお引続き業務を遂行したことによって素因を増悪するとともに、受療の機会を逸したことで死亡した事例。
地公災東京都支部事件(本理由書末尾添付資料3)は、
小学校教諭が公務途中高血圧症等の初発症状を発症した後も身体を無理して公務を継続したため、右半身麻痺、失語症に陥った事例。
であり、いずれも本件事案と酷似している。
二 結論
かくして岡林のポートボール審判公務が本件疾病の増悪に対し極めて有力な原因となったことは疑う余地がないと解されるところ、原判決はこれらを全く判断しなかったのであるから、この点において原判決には相当因果関係に関する法令の解釈・適用を誤り、かつ民事訴訟法第三九五条六号に定める判断遺脱の違法が明らかといわねばならない。
上告理由第四点 原判決は、本件疾病による死亡の公務上外の認定に関し地方公務員災害補償法第三一条の解釈を誤り、ひいては判決に影響を及ぼすこと明らかな法令の違背がある。
第一 問題の所在
一 原判決の判示
本件においては、特発性脳内出血による岡林の死亡が、地方公務員災害補償法(以下、「地公災法」という。)第三一条の「公務上死亡」に該当するか否かが争点となっているが、原判決は、右の特発性脳内出血による死亡が「公務上」となるか否かの判断基準として次のように判示している。
1 「職員が、公務上死亡し」た場合に該当するというためには、本件の死亡原因である特発性脳内出血が公務に起因して発症したものといわなければならず、右の公務起因性が認められるためには公務と特発性脳内出血の発症との間に相当因果関係が存在することが必要である。特発性脳内出血は、脳内微小血管に存在する血管腫様奇形等が破裂して発症するものと考えられるから、訴外岡林はこのような素因ないし基礎疾患を有していたといえる(一七丁表)。
以上の判示は第一審判決とほぼ同様である。
2 「このように既存の素因ないし基礎疾患を有する者が、一方で地方公務員として勤務するうち、この素因等が原因または条件となって発症した時でも、公務に従事したことが相対的に有力な原因となって素因等の増悪を早め、あるいは発症を誘発させて遂に死亡するに至ったと認められる場合には、公務と右疾患の発症との間に相当因果関係が肯定される。」(一七丁表一〇行目から同丁裏四行目まで)
この点について一審判決は「公務が素因等の増悪を早めた場合または公務と素因等が共働原因となって死亡原因となる疾病を発症させたと認められる場合には、公務と右疾病の発症との間に相当因果関係が肯定される」と解していたのであるが、原判決は右のように「公務に従事したことが相対的に有力な原因となって素因等の増悪を早め、あるいは発症を誘発さ」せるとしたものである。
3 ①「公務と素因等の発症との間に何らかの関連性があるというだけでは未だ公務起因性を認めることができない」、②「公務による負荷の程度が極めて軽微なことから客観的に見て死亡の原因は専ら素因等にかかるという時には起因性を否定すべく」、③「公務の遂行が相対的に有力な原因になっている場合に初めて起因性が認められると解すべきものである。」(二九丁裏)
そして、「右の場合(即ち右の①、②の場合―代理人注)のように公務起因性がないことが明らかな場合は別として、何らかのあるべき基準に照らして考えて、被災前に遂行されていた公務による精神的肉体的負荷の過重の程度その他の具体的状況によっては、たとえ死亡した当該公務員の死亡原因が医学的に不明であったとしても、(本件に即して言えば、特発性脳内出血の原因となった血管の破裂誘因が不明であったとしても)、司法的判断としては、公務による精神的肉体的負荷が相対的に有力な原因となったものと判断して、公務起因性を肯定することも、場合により許されると考えられる。そうすると、次に、前記の基準(前記の「何らかのあるべき基準」のこと―代理人注)に関する問題として、公務による精神的肉体的負荷の過重性を、被災前に遂行されていた公務を担当する平均的な健康度の公務員を基準として考えるべきか、現実に当該公務を遂行していた被災公務員の現実の健康度を基準として考えるべきかが問題となる。」しかし、そのいずれの基準からしても過重とは言えないときは公務起因性は肯定できない(二九丁裏九行目から三一丁表四行目まで)。
4 原判決は、右のような公務上外判定基準を立てた上、訴外岡林の公務遂行状況、その精神的肉体的負荷の程度を認定し、「これをもってしては、司法的判断としても同人の有していた脳内微小血管の先天的奇形が破裂したのは、自然的経過をこえて右負荷が相対的に有力な原因となったと見て、同人の死亡につき公務起因性を肯定することは未だ困難である」とする(三四丁裏)。
二 問題の所在
1 原判決は、「公務上」の判断基準として、公務と発症との間に相当因果関係が存在することが必要であるとし、さらに既存の素因等がある場合は、公務に従事したことが相対的に有力な原因となって素因等の増悪を早め、あるいは発症を誘発させるという関係が必要であるとした。これはいわゆる相対的有力原因説の考え方に立つものと考えられる。一審判決は、前記のように共働原因の考え方をとったものであるが、原判決の相対的有力原因説が地公災法の「公務上」解釈として妥当性をもつものかが検討されなければならない。
検討の視角としては、まず第一に、相当因果関係の有無の判断に当って相対的有力原因説は合理性を有するのか。むしろ相対的有力原因説は相当因果関係論を逸脱し、これを上廻る過酷な要件を公務上外判断基準にもち込み、被災職員の公務災害補償制度による保護を不当に奪う結果となっているのではないか、という観点である。
第二に、原判決のいう「相対的有力原因」の意味、その内容は何か、という点である。煩をいとわず原判決のこの点に関する判示を右に引用したが、これを仔細に検討しても相対的有力原因の意味内容は明らかになってこない。また原判決は、「何らかのあるべき基準」に照らして公務による負荷が相対的に有力な原因になるときは公務上となる場合があるとするが、それがどのような程度、場合であるかを明らかにしない。また「何らかのあるべき基準」についても判示しない。そして結論として「自然的経過をこえて右負荷が相対的に有力な原因となったと見て、同人の死亡につき公務起因性を肯定することは未だ困難である」というのみである。相対的有力原因という言葉は誠に呪文のように使われている。後に明らかにするように、公務と素因等が共働原因となって疾病を発症させる等の関係があれば相当因果関係が肯定されると解すべきであるが、この共働原因を採らないで、意味不透明な(むしろ内容空虚な)相対的有力原因という呪文を導入することにより、何やら、公務が相対的に有力でないとし、相当因果関係を否定せんがための道具に使われている感があるのである。
そこで、以下において、公務起因性を判断するに当っての相当因果関係論の発展、とりわけ共働原因論の発展・定着、そして相対的有力原因説の系譜とその意味を明らかにし、さらにあるべき公務上外認定の考え方を明らかにすることによって、原判決の誤りを指摘したいと考える。
第二 共働原因論の発展・定着
一 「災害主義」とそれを批判する判例の出現
脳血管疾患及び虚血性心疾患等の業務上外ないし公務上外認定をめぐる法的論争は、当初、行政庁(労働省)が定めた脳・心臓疾患等の業務上外認定基準の合理性をめぐって展開された。労働省は、昭和三六年二月一三日基発第一一六号「中枢神経及び循環器系疾患(脳卒中、急性心臓死等)の業務上外認定基準」(以下、「昭和三六年基準」という。)を定めたが、これは旧労働基準法施行規則三八条の「その他業務に起因することの明らかな疾病」に該当するためには、「業務上の諸種の状態が原因となって発病したことが、医学的に明らかに認められることが必要である」とし、具体的には、①業務に関連する突発的又はその発生状態を時間的、場所的に明確にしうるできごと若しくは特定の労働時間内に特に過激(質的に又は量的に)な業務に就労したことによる精神的又は肉体的負担(=「災害」)が発病前に認められること、②発病直前或いは少なくとも発病当日において右の「災害」が認められること、③「災害」があると認められるためには、当該労働者の従来の業務内容に比し、質的又は量的に著しく異なる過激な業務遂行があることが必要であり、発病前日までの過激な業務による過労の蓄積は「災害」の強度を増大する附加的要素としては考慮されるが、「災害」のない単なる疲労の蓄積だけでは業務上と認められないこと、④基礎疾病等があった場合は、当該「災害」が疾病の自然的発生又は自然的増悪に比して著しく早期に発症又は急速に増悪せしめる原因となったものとするに足るだけの強度が必要であること、としていた。
このように昭和三六年基準は、発病の直前に(少なくともその当日に)明確な「災害」が認められなければ業務上とは認めないという、明確な「災害主義」を採っていた。このため、例えば疲労の蓄積が著しい場合でも、発病直前に「災害」が認められないときは業務上と認定されないなど、不合理な例が数多く指摘された。また、業務上認定の要件として業務と疾病との間に相当因果関係の存在が必要とする考え方(相当因果関係説)からみても、「災害」の存在は相当因果関係成立のために理論上不可欠の要件とは言えないことは明らかであった。
かくて、次に述べるように「災害主義」を批判し、また基礎疾病等のある場合の共働原因の考え方に立つ判例が相次いで出現してきた。
① 東京地裁昭四五・一〇・一五判(判時六一〇・二一)
この判決は、国立京都病院の整形外科医師の急性心臓死を「公務上」と判断したものである。「公務上」と認めるためには、公務と死亡との間に法的な相当因果関係が存することが必要であるが、その内容については、死亡前一年間の勤務を詳細に認定し、それによって心身の慢性的過労状態が惹起され、それが死亡の重要因子であることを否定できず、冠状動脈硬化症という既存疾病が存在しても、なお、法的な相当因果関係が認められるとしたもので、既存疾病と公務が「共同原因」となって「公務上」と認定されたはじめの判決である。
「補償法一条等にいう公務上の死亡とは、公務と死亡との間に法的な相当因果関係が存すること、換言すれば、死亡は公務遂行に起因することを意味する。しかし、死亡が公務遂行を唯一の原因とする必要はなく、既存の疾病が原因となって死亡したと認められる場合でも、同時に公務遂行が既存の疾病と共同原因となって、既存疾病を悪化させ死亡したと認められる場合には、やはり公務起因性が存在するというべきである。死亡が公務遂行中に発生したことは公務起因性を推認する一資料にすぎない。
本件についてみれば、北は病院整形外科医師として公務出張中深更まで公務に従事した直後、出張先において急死したのであるから、死亡は公務遂行性があると考えられる。さらに右死亡の原因は冠状動脈硬化症による急性心臓死であって、右硬化症の発生自体に公務起因性があるとはいえないが、急性心臓死の誘因として心身の慢性的過労状態が重要因子であることは否定できず、しかも右過労状態はもっぱら北に課せられた異常に重い公務の遂行によって生じたものであるから、これらの事実を総合すれば、北の死亡は冠状動脈硬化症という原因も存するにせよ、なお公務遂行に起因するというべきである。」
② 東京高裁昭五一・九・三〇判(判時八四三・三九)
この事案は、相当高度の冠状動脈硬化症にかかっていた艀船の船長の心筋梗塞死について共働原因論に立って業務上としたもので、高裁段階ではじめて共働原因論を明確に打ち出し、以後、共働原因論に立つ判決が続出することに大きな影響を与えたものである。
「ここにいわゆる業務上の死亡とは、業務と死亡との間に相当因果関係が存すること、いいかえれば死亡が業務遂行に起因する――死亡に業務起因性が存在している――ことを意味し、また、これをもって足りるのであって、必ずしも死亡が業務遂行を唯一の原因とするものである必要はなく、特定の疾病に罹患し易い疾病素因や業務遂行に起因しない既存疾病(これらを併せて以下「基礎疾病」という。)が条件ないし原因となって死亡した場合であっても、業務の遂行が基礎疾病を誘発または急激に増悪させて死亡の時期を早める等それが基礎疾病との共働原因となって死亡の結果を招いたと認められる場合には、労働者がかかる結果の発生を予知しながら敢て業務に従事する等災害補償の趣旨に反する特段の事情がない限り、右死亡は業務上の死亡であると解するのが相当であり、この場合、被控訴人主張のごとく事故当時における業務の内容自体が、日常のそれに比べて、質的に著しく異なるとか量的に著しく過重でなければならないと解する合理的根拠はないものというべきである。」
二 共働原因論に立つ判例の発展と定着
前記の東京高裁昭五一・九・三〇判決以後、次に述べるように、地裁・高裁段階で相次いで共働原因論に立つ判例が出現し、定着していった。
③ 広島高裁昭五三・三・二二判(労働省労働基準局補償課編『脳・心疾患の災害補償判例総覧』八〇八、以下「総覧」という。)
この判決は、高血圧症に罹患していた税務署資産税相談係長のくも膜下出血による死亡について次のように共働原因論に立って公務上とした。
「ところで公務上の死亡というためには、公務と死亡との間に相当因果関係の存することを要するものというべきであるが、特に公務員が高年令による動脈硬化あるいは高血圧症等の基礎疾病を有する場合においては、公務の遂行が基礎疾病を急激に増悪させて死亡の時期を早める等それが基礎疾病と共働原因となって死亡の結果をまねいたものと認められれば足るものと解すべきである。
これを、本件についてみるに、信雄の健康状態(信雄の高血圧の進展状況)は高血圧症という基礎疾病を有するがその進展状況は緩慢であったものと認められ、右が急激な自然増悪の過程にあり、事故当時いつ頭蓋内出血があるやも知れぬほどに高度のものであったとは到底解し難いから、信雄の死亡がその有する高血圧症が自然経過的に進展した結果生じたものと認めることは困難であり、一方信雄死亡当日の前記三名による税務相談においては、信雄に高度の精神的ストレスを生じたことが認められるから、信雄は右精神的ストレスにより基礎疾病たる高血圧症を急激に増悪させた結果頭蓋内出血を生じ、それにより死亡するに至らせたものと認めるのが相当である。」
④ 宮崎地裁昭五三・四・二八判(総覧九五八)
この判決は、「原因的心疾患(基礎疾患)」を有する福祉事務所のケースワーカーが自転車で保護家庭等を訪問中に急性心不全で倒れ死亡した事案について、共働原因論に立ち公務上としたものである。
「公務上死亡した場合とは公務と死亡との間に相当因果関係のある場合を意味し、且つ、これをもって足りる。そうして、公務と相当因果関係のある死亡とは、公務を唯一の原因とする死亡に限らず、過度の精神的または肉体的負担を伴った公務が、これに直接起因しない基礎疾病に作用してその症状を急激に増悪させ死に至らしめる(基礎疾病の自然的増悪に基づく本来の死亡時期を早めた場合を含む)如く、公務と基礎疾病が死亡の共働原因となっている場合をも含むと解するのが相当である。」
「同人の公務遂行による過度の肉体的負担および精神的負担が、これに起因しない前記心臓疾患に作用してこれを急激に増悪させ同人の死を招来せしめたもの、あるいは少なくともその死亡の時期を早めたものであり、右両者が共働原因となって急性心不全による死亡の結果をもたらしたものと認めるのが相当である。」
⑤ 名古屋地裁昭五四・六・八判(判時九四六・三一)
この判決は、高血圧症、冠状動脈硬化症の基礎疾病を有していた下水処理場に勤務する公務員が夜勤交替制勤務に従事中、急性心臓死した事案につき、共働原因論に立ち、かつ、急性心臓死の誘因として、心身の慢性的過労状態が重要因子であることを認めて公務上としたもので、「災害主義」の法理を完全に脱却し、あわせて共働原因を「推認」する手段を定立したものと評価できる。
「(公務と死亡との間に相当因果関係があるとするためには、)死亡が公務遂行を唯一の原因とする必要はなく、既存の疾病(以下「基礎疾病」ともいう)が原因となって死亡した場合であっても、公務の遂行が基礎疾病を誘発または増悪させて、死亡の時期を早める等、それが基礎疾病と共働原因となって死亡の結果を招いたと認められる場合には、労働者がかかる結果の発生を予知しながら敢えて業務に従事する等災害補償の趣旨に反する特段の事情がない限り、右死亡は公務上の死亡であると解するのが相当である。」
「本件は松川が夜間勤務に従事中の急死であって、死亡原因は冠状動脈硬化症による急性心臓死であり、右冠状動脈硬化症は露橋下水処理場の夜勤以前より始まっているものと認められるが、急性心臓死の誘因として心身の慢性的過労状態が重要因子であることは否定できず、しかも右過労状態は専ら夜勤交替勤務の継続によって生じたものと認められるから、松川の死亡は冠状動脈硬化症と松川に課せられた公務の遂行による過度の肉体的精神的負担とが共働原因となって心臓疾患を急激に増悪させ、同人の死亡を招来せしめたものであると認めるのが相当である。」
「高血圧症や冠状動脈硬化症を患っている労働者の従事する作業内容が、そのもっている疾病に悪影響を与えるとされる性質のもので、しかもその作業従事期間が長期間にわたる場合には、当該業務の影響が基礎疾病と共働して発病ないし死亡の原因をなしているものと推認するのが合理的である。このような場合にまで、発病ないし死亡直前に突発的又は異常な災害が認められない限り公務起因性を否定する見解は失当であ」る。
⑥ 東京高裁昭五四・七・九判(判時九三〇・二〇)
この判決は、高血圧症、動脈硬化症を有していた労働者がパン工場のオール夜勤勤務に従事中、心筋梗塞を発症し死亡した事案につき業務上としたものであるが、この判決は、相当因果関係判定の手法、基礎疾病を有する労働者の配置の適切さの問題、さらには業務の及ぼす影響について他の一般の同僚労働者との比較ではなく、基礎疾病を有する当該労働者にとっての影響を考えるべきであるとする等妥当な判示をしている。
「疾病の業務起因性の有無の判断には、事柄の性質上、疾病の発生の機序に関する医学的知見の助力を必要とするが、この判断は、疾病の原因に関する医学上の判定そのものとは異り、ある疾病が業務によって発生したと認定し得るかどうかの司法的判断であるから、解剖所見を欠くため解剖医学的見地からは疾病の発生した原因の解明が困難な場合においては、被災者の既存疾病の有無、健康状態、従事した業務の性質、それが心身に及ぼす影響の程度、健康管理の状況及び事故発生前後の被災者の勤務状況の経過等諸般の事情を総合勘案して、疾病と業務との因果関係について判断するほかないものと考える。」
「右一連の事実経過に徴すれば、五郎の従事した仕分け作業が健康で有能な作業員にとっては、被控訴人主張のとおり十分耐えうる程度のものであったとしても、本件事故当時長期にわたるオール夜勤によってすでに五郎の高血圧及び動脈硬化症が相当進行、悪化していたことが推測され、かような健康状態にあった五郎にとって、右の作業配置の変更及び当日の仕分け作業の過重な負担が、健康な熟練者の場合と異り、強度の精神的緊張をもたらしたであろうことは推察に難くないというべきである。」
「本件疾病は五郎が高血圧症に罹患していたのに、訴外会社が五郎に対し適切な健康管理の措置を講ぜず、五郎をして健康に悪影響を及ぼす『オール深夜』に従事させたため、高血圧症及びこれに伴う動脈硬化症を増悪させたこと、さらに、右のような健康状態にある五郎をして精神的緊張を伴う仕分け作業に不用意に配置換をさせたため、疲労の蓄積とストレスにより冠状動脈硬化症を起こさせたこと、しかも、事故当日の作業の負担過重と連続的なミスに基づく強い精神的緊張が重なったこと等が相まって発症したものと推認するのが相当である。」
⑦ 大阪地裁昭六一・二・二八判(労働判例四七〇・三二)
この判決は、本態性高血圧症を有する警備員がパトロール車を運転して夜間巡回警備に従事中、脳幹部出血を起こし死亡した事案で、共同原因論に立って、「災害」主義を排し、業務上としたものである。
「労働基準法七五条の『業務上負傷し、又は疾病にかかった場合』とか、同法施行規則別表第一の二、第三五条関係第九号の『その他業務に起因することの明らかな疾病』とかは、いずれも業務と疾病との間に相当因果関係が存在することが必要であることを規定したにとどまり、疾病が業務遂行を唯一の原因とすることまで必要とする趣旨のものではない。業務進行中発症した疾病が基礎疾病を原因とする場合でも、当該業務が基礎疾病と共働原因となって基礎疾病を増悪させ、その結果発症に至ったと認められる場合には、やはり右発症の業務起因性が肯定されるべきであって、被告のいういわゆるアクシデントの存在はかかる業務と疾病との相当因果関係の存否を判定するに際して、考慮に入れるべき要素の一つであるとはいえても、かかるアクシデントの存在が相当因果関係認定に不可欠なものとまでいうことはできない。」
被災者は、「相当過酷な勤務条件の下で長期間継続的に深夜の警備業務に従事し、本件疾病発生当時には、睡眠不足と精神的ストレスによる肉体的、精神的疲労が蓄積して」いたこと、さらに発症当日には寒暖差の大きい労働環境の下で巡回警備作業を遂行したことから、基礎疾病にこれら業務が共同して、単なる基礎疾病の自然的経緯による増悪を著しく超えて、その症状を急激に増悪させ、病状の進行をはやめた、として業務上とした。
⑧ 名古屋高裁昭六三・一〇・三一判(労働判例五二九・一五)
本判決は、本態性高血圧症を有する長距離貨物輸送トラック運転手が、二人交替運転で三重県四日市市から熊本県天草まで大型トラックを運転する二泊三日の長距離運送業務に従事中、その帰路、高血圧性脳内出血を発症し死亡した事案について、共働原因論に立ち、偶々業務遂行中に脳内出血の前駆症状を呈したのちも運転業務を続行したことが血圧を更に亢進させて死の結果を招いた、として業務上としたものである。
「労働者がもともと有していた基礎疾病が条件または原因となって死亡した場合でも、業務の遂行が、右基礎疾病を誘発または増悪させて死亡の時期を早める等その基礎疾病と共働原因となって死の結果を招いた場合は、特段の事情のない限り、右の死と業務の間には相当因果関係があると認めるのが相当である。」
「本態性高血圧症という基礎疾病を有する被災者が、偶々業務遂行中に脳内出血の前駆症状を呈したのであるから、その段階、或いは遅くとも松橋インターチェンジから一つ目のパーキングエリアの段階で、安静に保ち医師の適切な措置を受けてさえいれば、脳内出血までには至らなかったか、或いは軽度でそれを止め、救命の可能性があったと認められるにかかわらず、やむをえず業務を継続したことが血圧をさらに亢進させ、急激に病状を増悪させて脳内出血を発症させ、死の結果を招いたものというべく、業務と死の結果には相当因果関係があるものと認めるのが相当である。」
この判決は、発症そのものの業務起因性は肯認しなかったが、発症後の業務の継続が死の結果を招いたものとして業務上と認定したものである。発症後の業務の継続が死亡ないし症状増悪をもたらしたときには業務上となるとの判旨は極めて妥当なものと考えられる。この判旨からすると、本件において特発性脳内出血の発症の時期を原判決のように、当日午前中とみるならば、その後の業務の継続が症状の進行にどのような影響を与えたかが極めて重大な問題となってくるのである(詳細は前述上告理由第三点)。
⑨ 大阪地裁昭六三・五・一六判(総覧四五八)
この判決は、本態性高血圧症を有する建設出稼ぎ労働者がガス管敷設工事に従事中、脳内出血を発症して死亡した事案について、共働原因論に立ち、業務上としたものである。
「死亡の原因となった右疾病が基礎疾病に基づく場合であっても、業務の遂行が基礎疾病を急激に増悪させて死亡時期を早める等、それが基礎疾病と共働原因となって死亡の原因たる疾病を招いたと認められる場合には、業務と死亡原因との間になお相当因果関係が存在するものと解するのが相当である。」
「久雄の高血圧症(基礎疾病)は中程度のものであり、その自然増悪により脳内出血(本件発症)が引きおこされたとは認め難く、むしろかかる状態に至っていなかったものと推認される」、他方、業務によって精神的緊張が持続しかつ肉体的疲労が相当蓄積されて被災者の高血圧症に悪影響を及ぼしていたこと、発症日直前に四日間連続して夜勤勤務したこと、発症日にブレーカー作業に比較的長時間従事したこと等が、高血圧症を急激に増悪させて本件発症を惹起せしめたと判断した。
⑩ 大阪高裁平二・九・一九判(労働判例五七〇・四二)
この判決は、前記⑨大阪地裁判決の控訴審判決である。控訴人(労働基準監督署長)は、原審判決の共働原因論を批判し、「業務の疾病にもたらす原因力が相対的に有力なものである場合に限って、災害補償の措置を講じ」るものであり、「相対的に有力かどうかは、業務にその疾病を発生させる具体的危険性があるかどうかを判断の基礎とする」、「業務が疾病発生に対し相対的に有力な原因になったといいうるためには、業務の過重負荷による影響と基礎疾病の自然的増悪とを比較した場合、前者の方が後者よりも相対的に有力な原因になっているものと経験則上明確に認められることが必要であるというべきである」と主張した。
この相対的有力原因説の主張に対し、この判決は、右主張を採用せず、一審判決と同じく共働原因論に立って業務上と判断したが、共働原因論に対する批判に対しては次のように的確に判示している。
「控訴人は、右判断の基準について、業務と基礎疾病とが共働原因となって死亡の原因たる疾病を招いたと認められる場合の業務がどの程度共働原因になれば相当因果関係が認められるか明らかではないと主張するが、基礎疾病を急激に増悪させ死亡時期を早める等の業務遂行の有無が、業務遂行と死亡の原因たる疾病との間の相当因果関係存否の判断基準となるべきものであり、基礎疾病の自然的増悪を招く程度の業務遂行の場合は含まれないというべきであるから、控訴人の右主張は理由がない。」
このように共働原因論に立つ判決は多数集積し判例理論として定着してきたことが明らかである。以上に摘示した判決のほかにも次のようなものがある。
⑪ 高知地裁平二・二・二一判(労働判例五七一・三〇)
中学校教諭の脳動脈瘤破裂によるくも膜下出血について、共働原因論に立ち、発症前約二ヶ月間の公務による疲労の蓄積、慢性的疲労が本件疾病に対して相当程度影響しているとして、公務上とした。
⑫ 秋田地裁平三・二・一判(労働判例五八二・三三)
⑬ 東京高裁平三・二・四判(判例タイムズ七五七・一六九)
本判決は、冠状動脈硬化症に起因する心肥大という基礎疾病を有する左官職人の左官作業中の心停止による死亡につき業務上としたが、本判決の共働原因論についての左の判示は、前記のように判例上定着してきた共働原因の考え方を集大成したものといってよい。
「労働者があらかじめ有していた基礎疾病などの内因が原因となって死亡した場合であっても、当該業務の遂行が当該労働者にとって精神的、肉体的に過重負荷となり、右基礎疾病をその自然的経過を超えて増悪させてその死亡時期を早める等、それが基礎疾病と共働原因となって死の結果を招いたと認められる場合には、特段の事情がない限り、右死亡は業務上の死亡であると解するのが相当である。」
そして、被災者の基礎疾病はそれだけで死に至らせるほど重篤ではなかったが、本件作業により疲労が蓄積され、高温気象という作業環境が加わる等によって、右疲労が睡眠によって癒されずに累積的に蓄積し、死亡当日までに被災者の基礎疾病は増悪し易い状態となっていたこと、これに発症当日の作業による負荷が加わったため、その基礎疾病がその自然的経過を超えて増悪し、死亡したものと推認できるとした上で、基礎疾病と業務が共働原因となって死亡したものとして業務起因性を肯定した。
三 共働原因の法理――小括
1 以上の諸判例によって定着してきた共働原因の法理は、次のように要約することができる。
(1) 公(業)務上の疾病・死亡とは、公務と相当因果関係ある疾病・死亡と解するのが相当である。
(2) 公務に起因しない基礎疾病・素因等がある場合でも、公務が基礎疾病等をその自然的経過をこえて増悪させたり、早期に発症させたりした場合は、基礎疾病と公務が共働原因となって発症等させたものとして相当因果関係が存在すると解する。
(3) 発症等の直前ないし、その当日に「災害」がない場合でも、発症当日ないしそれに至る一定期間(数日から数カ月、場合によっては年を超えて)の公務が、当該労働者にとって、疲労の蓄積をもたらし、基礎疾病等に悪影響を与える場合は、共働原因となって発症したと考えられる。
(4) 以上の基準によって公務上外を判断するのであるから、公務が相対的に有力な原因であったか否か、という観念的な――換言すれば裁判所によって客観的に判定することが不可能な――論議は全く不要となることは明白である。
このような共働原因の法理は、多くの学説によっても支持されている。そのいくつかを掲げれば次の如くである。
西村健一郎「脳出血・急性心臓死などの業務上外認定」季刊労働法一一三号二八頁
岩村正彦「基礎疾病を有する労働者が、オール夜勤体制下で作業中に急性心臓死した場合において、右死亡につき業務起因性が認められた事例」ジュリスト七三一号三二四頁
良永弥太郎「職業病の認定」・現代労働法講座12巻一九三頁
2 右の共働原因の法理に対する批判として、「災害」的要因を否定すると、ややもすると、公務が疾病に対し単なる条件関係にすぎないような事例にも相当因果関係を認めてしまう危険があり、その危険を避けるために「災害」的要因がある場合に限るとか、公務が「相対的有力原因」である場合に限るとか、という特別の要件を、相当因果関係が存在するための要件にもち込まざるを得ない、というものがある。
しかしこの批判は当らない。まず、第一に、法理論的に考えると、公務と疾病・死亡との間に相当因果関係があるか否かの判断に当って、災害補償制度の性格を損失補愼的にみるか、社会保障的にみるか、どのような立場に立つかにかかわりなく、「災害」がなければ相当因果関係の存在が肯定できないとする学説は皆無である。「災害」があろうがなかろうが、要するに相当因果関係の有無が問題なのである。この場合「災害」的要因があった方が、相当因果関係が認められ易いというだけのことにすぎない。このことは、労働省自身「業務上の災害的事実の存在が相当因果関係成立のために理論上不可欠な要件であるとは必ずしもいえない」(労働省労働基準局編著『労働保険・業務災害及び通勤災害認定の理論と実際』下巻二三四頁)と認めていることからも明らかである。
第二に、認定手法の問題としても右の批判は誤りである。公務上外の認定は、個別事案毎に医学的知見の助けをかりながら、公務と疾病との関係を詳細に認定していく以外にないことは、右に掲げた多くの判決例等が示すとおりである。
労働省は、右に引用の解説書のすぐ後の部分で「災害的な要因を前提として相当因果関係の成否を判断する以外に、認定実務上合理的な判断基準が見出せない以上、災害補償における行政実務としては、……妥当な取扱いといえる」(右同二三四頁)と強弁する。しかしこれが「妥当な取扱い」でないことは、すでにみたように共働原因論に立つ多くの判例の定着によって明らかである。
要は、前掲①、⑥の判決が明言するように、法的な因果関係の有無の問題であり、いわば一点の疑義も許されない自然科学的証明の問題ではない。この観点からすれば、共働原因論に対する右の批判が当を得ないことは明らかである。
一審判決は、本件疾病の公務上外認定の手法として次のように判示している。
「相当因果関係の存否を判断するに当たり、公務による精神的、身体的負荷が一般的に特に過重な程度に達していなくても、公務による精神的、身体的負荷が、当該職員にとって脳内微小血管の血管腫様奇形等の破裂を引き起こすに足りる程の負担をもたらす程度に相当重いものと認められ、かつ、他に特記すべき精神的、肉体的負荷を惹起すべき要因ないし特発性脳内出血の発症原因となるような要因がみとめられない場合には、医学的に因果関係が明確に否定されるなどの特段の事情が在しない限り、公務と素因等が共働原因となって特発性脳内出血を発症させたものと推認すべきであり、この場合、公務と特発性脳内出血の発症との間には相当因果関係が存在するものと判断するのが相当である。」
以上により共働原因論に対する批判は理由がないことが明らかである。
3 本件の第一審判決は、以上にみたような判例上定着した共働原因論に立ち、その相当因果関係の存否の判断について、公務による負荷の程度、それによって当該職員が受ける精神的、身体的負担の程度、他の要因による負荷の有無、程度などを総合考慮して判断すべきとした。これは前記判例を踏まえた妥当な判断基準であったが、原判決は、前述のように、相対的有力原因説を採用した。
そこで次に、相対的有力原因説の系譜とその問題点を指摘しよう。
第三 相対的有力原因説の系譜と問題点
一 相対的有力原因説判例の系譜
脳・心臓疾患の業務上外認定において、被災者に基礎疾病がある場合に、公務と疾病、死亡との相当因果関係の存否を判断する基準として、判例は、当初、行政庁の解釈基準と同じ「災害」主義をとっていたが、既述のように、これを批判する判例が出現し、共働原因論に立つ判例が定着するようになってきた。そうした流れの中で、昭和五五年ころから相対的有力原因説をとる判例が散見されるようになってくる。そこには大別して二つの流れがある。
1 共働原因論と同じ基礎に立つもの
⑭ 松江地裁昭五五・九・一〇判(判時一〇〇九・一一四)
この判決は、「死亡原因が公務遂行と他の原因との競合によるものと認められる場合でも公務の遂行が相対的に有力な原因であれば死亡は公務遂行に起因するものと認められる」と判示し、つづいて「急性心臓死の原因として本件旅行中における心身の過労状態が重要因子であると認められ」るので公務起因性が肯定できる、としており、相対的有力原因とは重要因子であるということを言っていると理解できる。
⑮ 神戸地裁昭五八・三・二九判(判例タイムズ五一二・一六六)
この判決は、「公務が基礎疾患を誘発あるいは増悪させて傷病を発症させる等、それが疾病発生の相対的に有力な原因となり、基礎疾患と共働して疾病を発生させたと認められる場合」は公務に起因すると解する、というのであって、「基礎疾患を誘発あるいは増悪させ」る関係を「相対的に有力な原因」と言っているにすぎない。それだから、この判決は結論において「以上述べたところによれば、亡仁三の死亡は、基礎疾病である高血圧症が同人の従事していた公務によって増悪され、基礎疾病と公務との共働原因に基づいて発生したものであるから、公務に起因するものというべきである」という。共働原因論に属する判決である。
右の判決のように、基礎疾病を増悪、発症させる要因たりうることを「相対的有力原因」とする判決には次のようなものがあり、これらが一つのグループを形成している。
⑯ 浦和地裁昭六一・五・三〇判(労働判例五二八・一〇二)
⑰ 東京高裁昭六三・六・二九判(労働判例五二八・九八)
これは⑯の控訴審判決である。
⑱ 神戸地裁昭六一・一一・二六判(労働判例四九二・三六)
⑲ 津地裁昭六二・二・二六判(労働判例四九三・二七)
この控訴審判決が前記⑧である。
⑳ 長野地裁昭六二・四・二三判(労働判例四九八・五七)
東京高裁平元・一〇・二六判(総覧三五九)
この判決は⑳の控訴審判決であるが、相対的有力の意義につき次のように述べてその内容を明確にしている。
「業務が相対的に有力な原因であったかどうかは、医学的知見も一つの有力な資料として、本件疾病の発生に関連する一切の事情を考慮し、経験則上当該業務が、自然的経過を超えて、本件疾病を発症させる危険が高いと認められるかどうかによって判断すべきである。」
和歌山地裁昭六三・一一・三〇判(労働判例五三二・三六)
この判決では、相対的有力原因とは、有力な原因の一つであることと同義とされている。
東京高裁平三・五・二七判(判例タイムズ七六一・一八五)
この判決では、長年に亘る交替制勤務等による疲労の蓄積、過労状態の進行に、企業爆破等の事件、とりわけ勤務会社自体に対する爆破予告電話事件による精神的不安、夜間ロッカー棟の見廻り等の業務が「相対的に有力な共働原因となった」としている。
2 「災害」主義と同じ基盤に立つもの
札幌高裁平元・四・二七判(総覧三八一)
この判決は、業務が相対的に有力な原因をなしたと認めるためには「さらに、労働者が発症前に、日常業務に比較して、特に過重な業務に就労したことにより、明らかな過重負荷を受け、過重負荷を受けてから病状の出現までの時間的経過が医学上妥当なものであることを要するものと解するのが相当である」とする。
この考え方は、相対的に有力な原因という言葉を用いた新たな「災害」主義の論理ということができる。
東京高裁平二・八・八判(労働判例五六九・五一)
この判決は、基礎疾病が業務に基づいて増悪した場合の業務起因性について次のように判示する。
「右の発症ないし増悪について、業務を含む複数の原因が競合して存在し、その結果死亡するに至った場合において、業務と死亡との間に相当因果関係が存在するというためには、業務がその中で最も有力な原因であることは必要ではないが、相対的に有力な原因であることが必要であり、単に並存する諸々の原因の一つに過ぎないときはそれでは足りないというべきである。」
「右の業務の程度は、業務に関連する突発的かつ異常な出来事による疾病の場合を除くと、疾病の原因となる程度であることを要する訳であるから、当該労働者の「日常業務」(通常の所定就労時間及び業務の内容)ではなく、それよりも重い業務でなければならない。しかも、日常業務に比較して『かなり重い業務』という程度では足りず、疾病の原因となり得る程の『特に過重な業務』に就労したことを要するものというべきである。」
しかし、疾病の原因となる程度であることを要することが、何故、日常業務に比して「特に過重な業務」でなければならないのか、合理的な根拠はないと考えられる。これは正に、かつて多くの判例が批判した「災害」主義の復活でしかなく、相当因果関係を逸脱した超厳格な業務上要件を作り出したということができよう。
右とは異なり次の判決は特異な考え方を示している。
大阪地裁平元・一・二六判(総覧五三四)
この判決は、業務がそれ自体単独で、又は被災者の喫煙、飲酒、加令等の素因と共働し、これらより相対的に有力な原因となって同人の冠動脈の動脈硬化を招き、或いは増悪させたと認めるに足りない、と述べる。この判決では相対的に有力とは素因に比し有力な原因であることを意味している。これは前述の⑩事件において行政庁が主張した論理と同一である。
以上の外にも相対的有力原因説に立つものも散見されるが、第一の類型に属するものが多く、或いは判文上、どの類型に属するのか不明のものもある。
本件の原判決は、相対的有力原因という言葉を用いているがその意味内容を全く説明していないし、発症前の公務の過重性の程度についてもその基準を明らかにしないので、どの類型に属するか明らかとはいえないが、一審判決の判示を変更しているところから、右第二の類型に属するものと解することができよう。
二 相対的有力原因説の問題点
1 相対的有力原因説の誤り
相対的有力原因説のうち、右の第一の類型に属するものは、相当因果関係存否の判断として問題はない。しかし第二の類型の論理については多くの問題がある。
第一に、、の判例のような発症前に「特に過重な業務」の存在を要件とする考え方であるが、これは新たな「災害」主義というべきで、「災害」主義を批判してきた多くの判例の理論と相いれないものである。また相当因果関係の法理論からみても、発症前に「特に過重な業務」を要件とする妥当性はないというべきである。
第二に、相対的有力原因の内容として、判例のように、基礎疾病等と業務を比較し、業務が基礎疾病等よりも有力であることを要するとする考え方であるが、これは、医学的にも、事実認定の上でも、不可能な立証を被災者に要求し、また、裁判所においても客観的にどちらが有力かを判断することができないことを要求していると思われる。また、相当因果関係の法論理からみても、業務が基礎疾病等より有力でなければ業務上と認められないなどという要件は導き出せないことは多言を要しない。
2 相対的有力原因説の淵源とその意味
そもそも、相対的有力原因なる言葉は、労働省の業務上外認定の理論にその淵源を求めることができるようである。
労働省は、つとに、業務起因性の性格につき、「傷病等に係る因果関係のうち、業務との関係が最も有力なものであることを要する(原因説ないし最有力条件説)と解することはできない。一般に、傷病等の発生については多数の原因又は条件が競合(共働)しているのであって…業務起因性については、傷病等の原因のうち、業務が相対的に有力な原因であることを要し、かつ、それで足りる。相対的なものである以上、他に競合(共働)する原因があり、それが同じく相対的な有力な原因であったとしても、業務起因性の成立を妨げない。」(労働省労働基準局編著『労災補償・業務上外認定基準の詳細』昭四三年、九四頁)としてきた。そして「相対的に有力かどうかは、これを(単なる強弱の問題)として考えると理論的に決めようがなくなるから、経験法則に照らし当該業務には当該傷病等を発生させる危険があったと認められるかどうか、によって判断しなければならない。いいかえれば、人間のあらゆる経験的・科学的知識に照らし、その傷病等が当該業務に伴う危険の現実化したものであるかどうか、ということである。
そしてこのような危険の有無は、その危険の現実化の諸条件を抜きにして判断することはできないから、当該傷病等の発生に不可欠な条件となった諸事情を基礎とし、当該業務にはこのような諸事情のもとで当該傷病等を発生させる危険があったと認められるかどうかによって判断される。」
「業務と傷病等との因果関係がこのようなものであるとすれば、原因と結果とが経験法則上相当な関係(適合関係)にあるという意味において、これを『相当因果関係』と呼ぶことができる。」(以上右同)
このように、相対的有力原因とは、労働省の解説では、相当因果関係の存否を一般的に判断する指標であって、業務上の傷害、疾病等を通じて一般に要求されるものであり、いわば、客観的にみて相当因果関係の存在を肯定できる程の影響力を有する原因といった意味を有していたと理解できる。元来はこうした意味合いをもった相対的有力原因の考え方が、「災害」主義と結びつき、前記第二の類型の判例を生み出してきたといえる。
これらが誤りであることはすでに述べたところから明らかである。
第四 結論
原判決は、一審判決の共働原因論を斥け、相対的有力原因説を採用したが、これが誤りであることは以上述べてきたとおりである。
本件の特発性脳内出血による死亡の公務上外判断の基準としては、一審判決が判示したように、公務が素因等をその自然的経過をこえて増悪させたり、早期に発症させた場合は、素因等と公務が共働原因となって増悪、発症したものとして相当因果関係の存在が認められることになる。そして、当該職員の公務による精神的、身体的負荷の程度(公務の時間、密度、公務の形態、難易度、責任の軽重、公務の環境など)、右の精神的、身体的負荷によって当該職員が受ける精神的、肉体的負担の程度、他の要因による精神的、身体的負荷の有無、程度などを総合考慮したうえ相当因果関係の存否を判断することになる。
原判決は、結局、地公災法第三一条の解釈を誤ったものであり、ひいては判決に影響を及ぼす明らかなる法令の違背があり、破棄を免れない。
上告理由第五点 原判決には原審の訴訟手続において以下のとおり法令解釈・適用の誤りがあり、ひいては原判決の結果に影響が明らかな審理不尽ないしは理由不備の違法がある。
一 本件災害の公務上外認定行政手続においては、原処分およびその後の行政不服審査手続のいずれも一貫して同災害の原因である本件疾病の発症を前記同日午後二時ごろにおける岡林のポートボール試合審判時として、その時点における本件疾病の公務起因性について審査がすすめられてきたことは一件記録より明らかである。すなわち、原処分においては災害の対象を「昭和五三年一〇月二八日出張先において発症した疾病」(甲第五号証二頁)と特定しているし、審査請求手続においても発症の状況を「一〇月二八日、被災職員が身体の異常を訴えたのは、ポートボールの練習試合で主審をつとめているとき」(甲第五号証六七頁、六八頁)と認定し、再審査請求手続でも同様の状況を災害発生状況として判断している(甲第六号証五頁、六頁)。又これらのいずれの手続においても右当日午前に本件災害の発生したとする原処分庁の主張はみあたらず、一審訴訟手続においても本件災害の発生(発症)日時を前記当日午後二時一〇分ころと明確に主張している(一審判決書三二丁)。原審になって原処分庁は訴外岡林の血管の破裂時期は当日朝起きてしばらく経ったころとみるべきとしてポートボール審判との関連を否定するに及んだ(三丁表〜裏)が、すすんで右破裂時期を本件発症の時期とする旨一審の主張を変更してはおらず、午前の公務の起因性について積極的に主張するには至っていない。
ところが、原判決は本件疾病の発症を当日午前と認定することで、これの原因となる岡林の公務に限られると理解し、前記一連の本件行政処分手続における公務起因性の審判とは時期的にも内容的にも全く別異の事柄について判断をするに及んだ。しかし、本訴のごとき抗告訴訟においてはその審理の対象は行政処分(原処分)の処分内容の適法性、および妥当性の有無・程度に限定されると解すべきであるので、前記のように原処分が全く審判の対象としなかった当日午前中の岡林の発症について、その時点の公務起因性を判断した原判決は抗告訴訟の審理の対象、判断枠を違法かつ不当に逸脱したものといわざるを得ない。
二 かりに原判決のごとき審理が許されるとしても、岡林の公務起因性の判断時期を前記ポートボール審判時であると認識し、これについて民事訴訟上の攻撃防御の方法をつくしてきた上告人にとって、右判断時期を前記当日午前とする原裁判所の前記心証形成過程は全く知る由もなく、したがって同判決にみられる前述の認定は全くの不意打ちであったといわねばならない。かかる場合、原裁判所が真に公正な審理をすすめるのであれば、岡林における前記当日午前の健康状態についての医学的な原因、およびこれと同時間帯における公務の影響の有無・程度・当日午前から午後にかけての岡林の健康状態の推移・経過と従事した公務との関連性等々について訴訟当事者にたいし、十分な主張の機会を与えるとともに立証を促す等、適切な釈明権の行使をなすべきであったと解するところ、原裁判所がかかる審理に及んだ形跡は全くみられない。
よってこれらの点について原判決には民事訴訟法の適用・解釈を誤った違法が明らかである。
(添付資料1、2、3は省略)